夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときには、ご年配のお方と立ち話・・♪

2006-10-25 19:45:00 | 定年後の思い
22日の日曜日、家内達はホテルの館内でゆっくりしたいと言うので、
私は昨日の魅了させられた湖畔の小道を散策した。

日曜日の為か、人と行き交うのが多かった。
昨日見かけたご年配のご婦人と会い、ご婦人が私に話しかけてきた・・。

旭川市に生まれ、女学校を出て、疎開でこの阿寒湖に来た時、
この地の人にみそめられ、嫁いできたが、長年議員をしてきた。
10年前頃、辞職してから急にボケてしまい、
今や孫達に馬鹿にされている、と明るく話されていた。

85歳の身のお方であるが、毎日この道を散策している、とのこと。

『ご健在・・何よりですよ・・』と私は言いながら、別れた。

ボッケ付近に日当たりの良い処に、ひとりのご年配のご婦人が座っていたが、
私を見かけると話しかけてきた・・。

軽い糖尿病があるので、毎日歩いているの、と言った。
そして息子4人、娘が近くにいるので、食事は毎日持ってきてくれるが、自由に生きたいので、独り住まいをしている。

好きな時間に起きて、食べたい時は自分でも作れるし、
寝たくなったら、時間に関係なく眠ってしまうの、
だから私は幸せよ、と私に微笑んだ。
89歳のお方である。

私は偶然にご年配のご婦人のお二人から、
人生の生き字引を頂いた。

私は62歳の身であるが、常日頃こうしたお方達から謙虚にお話を教示させて頂き、
人生の玉手箱を学んでいる。

街中に出た後、ヒメマスかワカサギで昼食しょうとし、
食事処を探した。

一軒の蕎麦屋に入り、ヒメマスの塩焼きでクラシック・ビールでほめた。

『評判通り・・確かな味でした・・』
と店を出る時に私は奥方に言った。

この蕎麦屋は、暖簾に郷土料理と蕎麦と綴られて折、
『奈辺久』と読めた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿寒湖の湖畔・・♪

2006-10-25 17:48:00 | 定年後の思い
家内達は、観光船でマリモ展示観察センター観たりするが、
私は興味がないので、湖畔周辺を散策することにした。

知床の『自然センター』から周辺を独りで散策したが、
熊と万一に出会いそうになった時は、

♪イヨマンテ
 燃えろ かがり火

 (作詞・菊田一夫)

歌手の伊藤久男のように朗々と唄えないが、今回の旅行前から『イヨマンテ(熊祭)の夜』の歌を練習をしていた。

今回も熊避(よ)けには、鈴などより余程効果があると信じている。

観光船乗り場の脇道から遊歩道があると聞いていたので、歩き始めた・・。

湖畔沿いの小道は、エゾマツ、トドマツ、ダテカンバ、ナナカマドの針広混生樹林の中を少し間引いて、
遊歩道として『湖畔コース』と名づけられていた。

湖畔に目を転じると、阿寒湖の情景が観え、快晴の中、遠方に遊覧船が見えたりした。

広葉樹林は、紅色、黄色に染められて錦繍となり、
湖面の陽射しが差し込み、葉の一枚が枝から舞いながら水面に落ち、
微かな水紋でゆらいでいる・・。

この遊歩道をゆっくり歩きながら、ときおりデジカメで風景を切り取り、15分過ぎたと思われるが、
私のほかは人影を見かけない。

その後、ご年配の独りの女性と会い、互いに黙礼をしながら、すれ違った。

硫黄ガスが感じられると『ボッケ』と称された泥火山が、ボコボコと泥を跳ね除けて生きている火山の実感を見せていた。

湖畔の桟橋に下り立つと、湖面の彼方に雄大な雄阿寒岳の雄姿が見られた。

振り返ると湖面に小島が観え、針葉樹の中、広葉樹が秋たけなわの色合いに染められていた。

『森の小道』を目指して歩いたが、近日の強風の為に倒木があったので通行止めとなって折、
やむ得ず『エコ・ミュージアム・センター』に向かった。

このE.M.C.に近づくと木道となり、湿原となっていた。
樹木に影を見たと思ったら、エゾリスが枝に移り去って行った。

E.M.C.の館内は、樹木の10数種類の大木が、五メートル前後の高さで並べられて折、
樹皮に触れることが出来るので、しばらく手肌で感じたりして、感心しながらしばらくたたずんでいた。

森の樹木は針葉樹林、針葉広葉混成樹林、広葉樹林が具体的に展示して折、
私のつたない知識に教示してくれた。

館の表に出て、灰皿の設置しているベンチで煙草を喫っていたら、
偶然に家内達を見かけた。

家内達は遊覧船から下船後、お土産屋さんの街並みを歩いていたら、
この館が見えたので立ち寄った、ということであった。

その直後、にわかな空は暗くなった後、しばらくすると明るくなり、雹(ひょう)がパラパラと降りだしてきた。

15分も過ぎると雹は止み、曇り空となった。

家内達は動物好きなので、エゾリスの話をすると、先程の小道を通り、
幸いエゾリスも見られ、街中に戻った。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿寒湖の夜は、アイヌ古式舞踊・・♪

2006-10-25 17:46:00 | 定年後の思い
街に戻り、遅い昼食をアイヌ村にある『喫茶ポロンノ』に行った。

夜の9時過ぎに『アイヌ古式舞踊』を観るための下調べを兼ね、アイヌ料理に興味があったので出かけた次第である。

この店内は、アイヌのお土産売り場も兼ねているが、
鹿のサイコロ・ステーキ、キトピロという行者ニンニクの醤油漬けでクラシック・ビールで頂いた。
鹿肉、行者ニンニクは、以前食べたことがあるが、
こうした風味は初めてであったが、美味しく頂けた。
家内達は、アイヌ特有の食べ物を食べたり、飲み物も特有な品を注文したりした。

ホテルに一端戻った後、寒くなった夜空の8時半過ぎに、アイヌ村に出かけた。

円形の会場は、哀切帯びた『ムックリ』という民族楽器の音色が響き、
それに伴ない民族の唄が聴こえてきた。

舞踊する中核には、篝(かがり)火が燃え上がり続け、
周囲は黒土一色となっていた。

6曲前後の舞踊が披露された後、最終曲は我々観衆も踊りに加わり、
『踊り比べ』という曲の演奏に揃って、輪踊りをした。

その後、長老が記念写真のサービスをして下さり、
私は家内達を促(うなが)して、長老を囲んだ記念撮影を数枚写したりした。

帰路、この村でアイヌ工芸品を購入し、ホテルに戻った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

されど、知床観光航路・・♪

2006-10-25 09:57:00 | 定年後の思い
20日(金)は知床の硫黄山航路コースの観光船に乗船後、知床峠を通り、ウラス、標津、摩周湖、硫黄山、
そして阿寒湖までのJALライナーのバス観光周遊の移動の旅である。

前日の朝、港から沖まで晴れ渡って折、
家内達に明日のお天気は悪いから今日の日中に観光船に乗った方が良い、と私は言い、
私は『知床自然センター』に出かけた。

『乙女の涙』までの散策の途中で、道連れになった人達と話している時、
観光船が風と波で欠航になった、と教えて貰った。

この人達は、九州の方達で、団体観光のグループで、道東観光めぐりをしている一部の人であった。

『こんなに・・良いお天気なのに・・欠航とは・・
何のために・・この道東めぐりに参加したか・・意味がないわ・・』
と50代のご婦人が言ったりしていた。

『そうですよね・・観光船の方達に・・こんな良いお天気・・
何時・・周航するの・・言ってみたいですね・・』と私は軽口を言った。

この観光船は、これだけ魅了させる景観を秘めている。

私達夫婦は、昨年の5月、知床岬まで早朝クルーズがある団体観光周遊に参加したことがある。

ウトロのホテルのロビーに真夜中の2時半に集合して、
知床岬で日の出を観るために乗船したことがあった。

観光船から知床連峰が望め、4時過ぎの月をほめ、知床岬まで周航したことがあった。
詳細は昨年の5月に綴っているので、省略するが深く心に残っている。

20日の朝は、どりよりとした曇り空であった。
昨日のお天気を配慮すると、欠航かしら、と思いながら、朝の7時過ぎにフロントに問い合わせた。

『おかあさん・・こんな天気でも・・観光船に乗れるって・・』
と私は家内の母に言った。

そして家内は『良かったわ・・おかあさん・・雨女・・返上よ』と言った。

家内達は動物好きなのであるが、
ここ数年に動物園などに行ったりすると、雨まじりのお天気が多かったのである。

私からしてみれば、家内の母は初めて北海道の思い出に観光船は欠かせないひとつであるので、
何とかと思いが叶えたらという気持ちであった。

硫黄山航路コースの乗船後、どんよりとした曇り空で、ときおり小雨が降ったりした。
オホーツクの波の打ち寄せる海岸の景観は飽きることのない光景であった。

家内の母の微笑んだ顔立ちを見ると、この旅行は良い思い出になると私は感じ、
安堵したりした。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『知床~それは命の営み』・・♪

2006-10-25 08:23:00 | 定年後の思い
夜明け前の3時過ぎに目覚め、ウトロ魚港とその前方に拡がるオホーツク海を観た・・。

標題を掲げたのは、斜里町商工観光課が命題した『知床~世界遺産~』の豪華な小誌の中から、
拝借した言葉である。

宿泊しているホテルの館内で頂いたものである。

私は知床に関しては、像(ゾウ)の尻尾以下しか無知である。

斜里町から海岸沿いの国道をウトロに向かうと、玄関代わりのオシンコシンの滝が迎えてくれる。
ウトロには秋、冬、春に来ているが、私の心の想いは流氷の時節が深く残っている。

厳粛・・しか言葉が見つからず、海岸沿いと見られる周辺を3時間ばかり家内と歩いた体験がある。

防寒服と登山靴で零下10度、風が吹くと零下15度前後であったが、
遥か彼方まで流氷を見つめていると、私はこの景観には謙虚になる。

厳粛と謙虚・・これが私の知床の思いであるが、
適切な言葉で集約したのは標題に拝借した言葉につきると直感した次第である。

家内達は魚港周辺を散策するので、私は『知床自然センター』の周辺を散策することにした。

この館内の映像展示館で『知床の四季』を観た。
解説に寄れば、映像を超えたダイナビジョンが誘う、大自然の世界、と綴られていたが、
まさに遂力のある映像から知床の大半が集約されている名画、
と感動を受けたりした。

その後、『乙女の涙』と称される海岸の滝までの遊歩道を散策した。
樹林の中のゆるやかな坂道を下ると、あたり一面平地となり遥か彼方に知床の連山が観られる一帯であった。

のどかな晴れ間の中、こうした光景の中で散策ができるのは、贅沢のひとつと感じたりした。

帰路、ウトロの街中で、ホッケを遅い昼食代わりにした。
このホッケは、私の好きな魚のひとつであるが、
都心で頂くのは小ぶりが多い。

私の友人の一人に小樽出身がいるが、
都心の居酒屋で、この小ぶりのホッケを私が食べていたら、
こんなのホッケじゃない、と言われたりしたこともある。

私は本物のホッケをクラシック・ビールでほめ、
友人の顔を思い浮かべたりした。

ホテルの敷地の一角に足湯があったので、部屋に戻ると、浴衣に着替え、
足湯にのんびり浸かっていると、こんな贅沢な昼下がりのひとときを過ごしてもよいかしら、
と思ったりした。

まもなく家内達が散策から戻る姿を見かけた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする