私は民間会社を定年退職し、3年を迎えている身であるが、
【セレブ】という言葉を新聞、雑誌、テレビなどで読んだり、視聴したりしているが、
何ゆえ、この言葉があるのか、解かるようで実感が伴もわなかった・・。
やも得ず、インターネットの《語源由来辞典》で検索したら、
【セレブとは、名士。有名人。
女性誌などでは、美しく優雅で知的な女性を意味することが多い。】
と表示されたが、益々解からなくなった。
【セレブは、「celebrity(セレブリティ)」の略。
セレブリティとは、著名人や有名人のことである。
略された「セレブ」や「セレブ御用達」のような表現は1990年末頃から見られ、
海外の有名女優やスーパーモデルを「セレブ」、
それらが身に着けるアイテムを「セレブ御用達」と言った。
セレブの意味が曖昧なまま広まった為、
単にお金持ちになることやブランド品を身につけることも「セレブになる」などと
表現されるようになった。
更にその意味解釈が拡大し続け、個々のの持つ抽象的なイメージ表現として用いられるようになった為、
セレブの定義は無いに等しくなった。】
と語源、由来は明示されていた。
このような明示されたことを読むと、私は最近読んだ記事を思い出した。
9月30日の読売新聞で《大人のたしなみ》と特集があり、
副題として、《10月1日は、本物を愛する『大人の日』なり、と綴られていた。
この中で、阿木耀子・女史がインタビューに答えていた・・。
・・「たしなみ」、「恥じらい」、「おくゆかしさ」などという言葉も
だんだん死語になって来ているように感じます。
私は、大人らしいというのは、たしなみとか奥ゆかしさの中にこそ、
ある気がします。
自分の事にしか興味がなく、自己中心的なうちは、まだ子供。
相手に自由に呼吸をさせてあげられる。
それが出来て、初めていえるんだと思います。
(略)
私はこの記事を読んだ時、大人のたしなみをセレブに置き換えても正鵠な表現と感じたひとりである。
阿木耀子・女史は、作詞家、女優、小説家、エッセイストなどで、
活躍されているお方で、1945年生まれと綴られていた。
そして私は、私なりのセレブの定義として、農作物研究家の浜 美枝・女史、
NHKのアナウンサー室長の山根基世・女史を想い浮かべたりしている。
私はブログを綴りはじめて、二年近くになるが、
セレブと称されるようなお心の持った人、3人のお方を思ったりしている。
お心も澄んでいて、こうしたお方が真のセレブかしら、と改めて感じている。