最終章 旅の終りは、霧島温泉
私達3人は連泊した『鹿児島 東急イン』を10時にチェックアウトした後、
鹿児島中央駅に向かった。
私としては初めてのJR九州の鹿児島中央駅であり、
日豊本線の『霧島神宮』行きの時刻表を家内と見たりしたが、
構内の大きい割りに列車の本数が少ないのには少し驚いたりした。
結果としては、宮崎行きの『特急きりしま』の10時42分発を利用したが、
鹿児島市内と別れるのが名残り惜しく、
《 あいがとも さげした 》
と不慣れな感謝の言葉を心の中で呟いたりした。
列車はゆっくり錦江湾を右手に見せながら北上し、
里山を少し走り抜けると『霧島神宮』駅にわずか50分たらずで到着した。
雨上がりの情景の中、私達3人は路線バスに乗り、
霧島温泉郷の中核の丸尾で下車した。
そして、この丸尾のバス停から、七分前後の所に予約していた観光ホテルが観えたのであった。
そして、ロビーのソファーに座ると、小雨が降りだし、
雨に濡れずに良かった、と私たち3人は微笑んだのは、昼の12時半過ぎであった。
http
://www.kirishimaspa.com/
この観光ホテルで連泊するのであるが、家内がネットで検索した時に、
【・・
霧島連山の中腹に位置し、7000坪の庭園と錦江湾に浮かぶ桜島、
遥か開聞岳を全室より一望でき、
露天風呂からは満天の星空を満喫できます。
・・】
と明記されていたので、
家内は母に、部屋から桜島が観えるみたい、と云ったりしていた。
こうしている時、フロントの方が、
『お部屋のご用意が出来きましたので・・』
と私に歩み寄り云った。
『三時からチェックイン開始時なのに・・ありがとうございます・・』
と私は一時であったので、お礼の言葉を重ねた。
部屋に入ると、いつものように私は浴衣に着替えて大浴場に向かった。
大浴場は我独りで、こうした平日にのんびりと温泉に入れるなんて、
と多忙だった現役時代を思いながら、
贅沢な限りである、と年金生活の我が身を満喫したのである。
そして、通り雨だったのか、雨は上がり、
薄日の射す中、岩の露天プロに手足を伸ばしたりした。
私は部屋に戻り、ベッドに横たわり、
本を読んだりしているうちに眠ってしまったのである。
こうして旅先の宿で夕食を頂き、ビールを呑みながら、
いつものように私達3人は談笑したが、
家内の母は今年の誕生日は80歳、私も65歳を迎え、家内も60歳を迎えることとなるので、
このような三人の旅もそれぞれが心身元気な時であり、
いずれは誰が欠けても、三人組は解散となる・・。
こうしたことは私は時折、思ったりしている。
私は夜の8時過ぎに寝付いたので、
翌日の早朝4時過ぎに目覚めて、ロビーの隅で本を読んだりした。
そして、5時過ぎに新聞の朝刊をロビーの一角にファイルされると、
いつもの旅先の習性で、その地の地方新聞から読み出すのである。
この後、ロビーの片隅にひとつのパンフレットを見つけて、
読み出して、思わず微笑んだのである。
【 ~神々のプロムナード~
「いやしの森」国立公園 霧島
森林セラピー ロードコースのご案内 】
と題された霧島観光マップのひとつであるが、散策路、自然探勝路などが紹介されていた。
私は午前中のひととき、この中のひとつの『手洗散策路』を歩こうかなぁ、
と思ったりしたのである。
私は独りで散策する予定であったが、家内も一緒に、と云いながら、
軽装に着替えたのである。
澄み切った快晴の中、未知の『手洗散策路』に向かって歩き出したのであるが、
車道から外れると、ハイキングのような登り路となり、
山桜が葉桜となったり、クフギ、モミジなどの樹木の眺めながら歩いた。
そして、ほんの一キロ前後の少し荒れた里路の後、
車道となったが、自動車も見かけない道を下ったのである。
結果としては、一万歩を少し超えた散策となった。
この後、観光センターを見かけ、
足湯があったり、温泉饅頭を蒸かしていたので寄ったのである。
広場にはバラソルのあるテーブルがあり、
私は微風に吹かれて、缶ビールを呑み、煙草を喫ったりし、
家内はペットボドルの煎茶を飲みながら、温泉饅頭、御土産屋で地元の和菓子を食べたりていた。
ホテルに戻り、私は庭園に下り立ち、
デジカメで整備され広い庭にある新緑の数多くの樹木、
そして池を配し築山風にツツジの群生の花の彩(いろど)りの美麗を撮ったりした。
この後、私は大浴場の湯に身をゆだねた後、
燦燦と照り続ける陽射しの中、露天風呂に行ったが、湯は熱く、
湯から上がり、歩道の渡り石を踏みしめた時、熱くて少しあわてたのである・・。
岩の露天風呂の形態であり、陽射しに熱せられていたのである。
こうした体験は、遅ればせながら初めてであった。
部屋に戻ると、家内と家内の母に、
『牛肉の・・石焼き・・みたいだった・・』
と私は戯(たわむ)れた言葉を言いながら、家内達にさりげなく忠告したのである。
翌日、早くも旅の最終日となったが、
朝の7時過ぎに部屋の窓辺から、家内が遠方に櫻島が観えた、
と家内の母に知らせ、
私達3人はしばらくのあいだ見惚れていたのである。
そして、10時過ぎにチェックアウトをした後、
丸尾のバス停の周辺を観光し、昼食をした後、
霧島の地を路線バスで離れたのである。
鹿児島空港で手荷物検査を受けた後、
家内達はお土産売り場に行っている間、
私はレストランでビールを呑みながら椅子にゆったりと座っていた。
そして前方に観える飛行機の離陸の状景を眺めたりすると、
歴史と文化にめぐり逢えた鹿児島県ともお別れだなぁと思い、
《 またお逢いしたいですね・・さようなら 》の言葉の変わりに、
薩摩の地方にふさわしく《 また・・ごあんそ 》
と名残り惜しく心の中で呟(つぶや)いたりした。