私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
我家は家内と2人だりの家庭であるが、
家内は独り住まいの家内の母宅に泊りがけで行っている。
高齢者の家内の母は、身の廻り程度はある程度は出来ているが、
庭掃除、季節に応じたのカーテン、布団、衣服、暖冷房器具などの出し入れがままならす、
家内が大掃除を兼ねて季節が変わるたびに行っているのである。
今回は22日(水)~30日(木)となり、8泊9日で家内は孤軍奮闘しているのである。
私はこの間は、のんびりとした独り住まいとなるが、
家内が作ってくれた料理、スーパーのお惣菜コーナーの売り場で、
適度に選定し、食べたりしている。
年金生活の私は、日常はある程度は自在の生活を過ごしているが、
独り住まいとなれば、更に身勝手に過ごすことになる。
平素より音楽を大きめの音量で聴いたり、
映画のビデオ、DVDの劇映画も大音量で視聴したりしている。
そして、昼寝、入浴時間、そして睡眠時間も好きな時間となり、
我ながら呆れたりしているが、
こうして過ごせるのも、現役時代の多忙だった時からすれば、
夢のひとときであるので、私は微苦笑しているのである。
台所の皿洗いは、前掛けをして、腕まくりをしながら私は殆ど毎日しているのであるが、
庭の手入れと同様に、終れば小奇麗になり清々しいのであり、
独りで微笑んだりしている・・。
日中の大半は小説、随筆、現代史などの読書をしているが、
少し疲れると、庭に下り立ち、
樹木の若葉を眺めながら、煙草を喫ったりしていた。
陽射しのつつまれる中で
ときおり微風が吹き、わずかに若葉の枝葉が揺れている・・。
私はそよ風に身をゆだねると、心身は爽快となる・・。
このようなふしだらな時を過ごしていると、
政治の混迷、社会の悲惨な出来事が遠い世界のように感じてしまうのである。
私の年金生活で昨今変わったことといえば、
この2月より市の推薦のメタボの研修を受けているが、
やさしい保健師の若き女医さんとの指きりの約束をしたせいか、
アルコールが激変したのである。
私は旅行以外の日常生活は、ビール350mLを2本としているが、
ときには1本で満足してしまう晩もあるので、我ながら不思議と感じたりしている。
昨年までは、殆ど純米酒の辛口を2合ばかり呑み、
ときおりビールを500mLを2、3本を呑む晩もあった。
特にこの時節、日中のひととき、主庭の外れで、
薫風に身をゆだねて、若葉の枝葉を眺めながら、
ビールを呑んだりしたことがあったが、
いまや煎茶を主体に、コーヒーなども飲んだりしているのである・・。
麗(うらら)かで清純なしぐさの女医さんのせいかしら、
と体力も衰えた私は微苦笑したりしている。
そして、私はこのサイトに投稿するのも熱意を込めて綴ったりしてきたが、
昨今は過去に投稿した文を読み返したりすると、
何よりも大いに落胆をしたりしている・・。
私は屈折の多かった半生を歩んできたが、
私なりに拙(つたな)い才能で独創性ある季節感を秘めた文体をめざし、
最終的には清貧の数寄者のひとりになるのが目的であるので、
この程度であれば、素人の綴る文章の域を脱していない、
と失望をまじえながら反省をしている・・。
私は若き日に映画、文学青年の真似事をした時期もあったので、
われ青春の蘇(よみがえ)りを待ち望む、
と自身に気合を入れたりし、今こうして音楽を聴いたりしている。
たまたま聴いている音楽は、
アルフレッド・ブレンデルの弾いているベートーヴェンのピアノ・ソナタの『悲愴』、『月光』、『熱情』である。
そして、果たして、と微風を受けて、若葉が揺れるのを眺めたりしてる。
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我家は家内と2人だりの家庭であるが、
家内は独り住まいの家内の母宅に泊りがけで行っている。
高齢者の家内の母は、身の廻り程度はある程度は出来ているが、
庭掃除、季節に応じたのカーテン、布団、衣服、暖冷房器具などの出し入れがままならす、
家内が大掃除を兼ねて季節が変わるたびに行っているのである。
今回は22日(水)~30日(木)となり、8泊9日で家内は孤軍奮闘しているのである。
私はこの間は、のんびりとした独り住まいとなるが、
家内が作ってくれた料理、スーパーのお惣菜コーナーの売り場で、
適度に選定し、食べたりしている。
年金生活の私は、日常はある程度は自在の生活を過ごしているが、
独り住まいとなれば、更に身勝手に過ごすことになる。
平素より音楽を大きめの音量で聴いたり、
映画のビデオ、DVDの劇映画も大音量で視聴したりしている。
そして、昼寝、入浴時間、そして睡眠時間も好きな時間となり、
我ながら呆れたりしているが、
こうして過ごせるのも、現役時代の多忙だった時からすれば、
夢のひとときであるので、私は微苦笑しているのである。
台所の皿洗いは、前掛けをして、腕まくりをしながら私は殆ど毎日しているのであるが、
庭の手入れと同様に、終れば小奇麗になり清々しいのであり、
独りで微笑んだりしている・・。
日中の大半は小説、随筆、現代史などの読書をしているが、
少し疲れると、庭に下り立ち、
樹木の若葉を眺めながら、煙草を喫ったりしていた。
陽射しのつつまれる中で
ときおり微風が吹き、わずかに若葉の枝葉が揺れている・・。
私はそよ風に身をゆだねると、心身は爽快となる・・。
このようなふしだらな時を過ごしていると、
政治の混迷、社会の悲惨な出来事が遠い世界のように感じてしまうのである。
私の年金生活で昨今変わったことといえば、
この2月より市の推薦のメタボの研修を受けているが、
やさしい保健師の若き女医さんとの指きりの約束をしたせいか、
アルコールが激変したのである。
私は旅行以外の日常生活は、ビール350mLを2本としているが、
ときには1本で満足してしまう晩もあるので、我ながら不思議と感じたりしている。
昨年までは、殆ど純米酒の辛口を2合ばかり呑み、
ときおりビールを500mLを2、3本を呑む晩もあった。
特にこの時節、日中のひととき、主庭の外れで、
薫風に身をゆだねて、若葉の枝葉を眺めながら、
ビールを呑んだりしたことがあったが、
いまや煎茶を主体に、コーヒーなども飲んだりしているのである・・。
麗(うらら)かで清純なしぐさの女医さんのせいかしら、
と体力も衰えた私は微苦笑したりしている。
そして、私はこのサイトに投稿するのも熱意を込めて綴ったりしてきたが、
昨今は過去に投稿した文を読み返したりすると、
何よりも大いに落胆をしたりしている・・。
私は屈折の多かった半生を歩んできたが、
私なりに拙(つたな)い才能で独創性ある季節感を秘めた文体をめざし、
最終的には清貧の数寄者のひとりになるのが目的であるので、
この程度であれば、素人の綴る文章の域を脱していない、
と失望をまじえながら反省をしている・・。
私は若き日に映画、文学青年の真似事をした時期もあったので、
われ青春の蘇(よみがえ)りを待ち望む、
と自身に気合を入れたりし、今こうして音楽を聴いたりしている。
たまたま聴いている音楽は、
アルフレッド・ブレンデルの弾いているベートーヴェンのピアノ・ソナタの『悲愴』、『月光』、『熱情』である。
そして、果たして、と微風を受けて、若葉が揺れるのを眺めたりしてる。
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