私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
ときおり家内は、独り住まいの家内の母宅に泊りがけで行っている。
私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が定年退職後の直前に主人に死去され、一戸建ての独り住まいの生活をされて、5年近くなっている・・。
家内の母は身の廻り程度はある程度は出来ているが、
庭掃除、季節に応じたのカーテン、布団、衣服、暖冷房器具などの出し入れがままならす、
家内が大掃除を兼ねて季節が変わるたびに行っているのである。
今回は8日(土)~15日(土)となり、7泊8日で家内は孤軍奮闘しているのである。
私はこの間は、のんびりとした独り住まいとなるが、
家内が作ってくれた料理、スーパーのお惣菜コーナーの売り場で、適度に選定し、
食べたりしている。
そして、『燃えるゴミ』、『燃やせないゴミ』、資源として再生される『ペットボトル』、『古紙』、『ビン』の日と、
日付別のメモ用紙に書いたりして、少しボケた私は自戒させたりしている。
私は年金生活になってからは、程々に気ままな生活を過ごしているが、
更に家内が留守のを幸いに、自在な時間を送ったりしている。
昼前にお風呂に入いり、ぬるま湯の風呂に10分ばかり心身をゆだねた後、
髪の毛を洗ったり、髭(ヒゲ)を剃ったりしている。
そして、私は幼年期は農家の三男坊の田舎者であったが、
少し都会風にお洒落(しゃれ)をした洋装で、駅前の本屋に行ったり、
スーパーに寄ったりし、中年以上の女性のしぐさに見惚(みと)れることもある。
居間にいると、映画のビデオ・テープ、DVDの作品を映画棚から取り出して、
テレビ画面を通して視聴したり、
好きな音楽も大音量で聴いたりしている。
いずれも家内は、大音量が苦手な身であるから、平素は抑制しているが、
この時とばかり、映画の作品はある程度の音量でないと、
音楽もそれ相当の音量がないと、魅感が薄れると固く信じているので、
自在にしている。
こうした中でも、娯楽作品ばかりでなく、ときには真摯に映画作品を観ることにある。
私が若い頃に初めて人妻の魅力を感じたデビット・リーン監督の『逢びき』(1948年、日本公開)を改めて観て、
女優シリア・ジョンスンは稀(まれ)な気品を秘めた表情と恥じらいと憂い、
そして少しの妖艶なしぐさと言葉を表現できる女性で、
イギリスの中流階級のご婦人に扮した今回の役柄であり、
改めて私は深く惚れ込んだのである。
http
://www.youtube.com/watch?v=wWluCzzu4jk
【デビット・リーン監督の『逢びき』が、この【Yoytube】に掲載されていたことは、
私は驚嘆させられたが、この世に稀な女性であるシリア・ジョンスンを少し解かって頂きたく、
あえて一部、転載した】
そして若き日に、私が社会の悲惨さを学んだビィトリオ・デ・シーカ監督の『自転車泥棒』(1950年、日本公開)、
人間の尊厳を学んだダルトン・トランボ監督の『ジョニーは戦場へ行った』(1971年、日本公開)、
38年以上前に観た作品を改めて観て、深夜独り涙を流したりした。
このように私は、ここ数日、もとより読書も大半しているが、
こうした『おひとりさま』の生活を過ごしている。
私は、『おひとりさま』の生活をときおりしている。
前回は、たまたま4月下旬であり、4月28日に於いて、
【 私が皿洗いをする時、思わず鼻歌を唄い・・♪ 】
と題して、投稿しているが、再掲載をする。
【・・
(略)
今回は22日(水)~30日(木)となり、8泊9日で家内は孤軍奮闘しているのである。
私はこの間は、のんびりとした独り住まいとなるが、
家内が作ってくれた料理、スーパーのお惣菜コーナーの売り場で、
適度に選定し、食べたりしている。
こうした時、台所で2日に1回ぐらいのペースで、
午後のひととき、皿洗いをしたりしている・・。
前掛けをして、腕まくりをした後、
スポンジにファミリー・フレッシュなどの洗剤をつけて、こすったりし、
この後は水洗いを丁寧にしている。
昨日もしていたのであるが、この時どうした心境が解からないが、
♪嵐も吹けば 雨も降る
女の道よ なぜ険(けわ)し
君をたよりに わたしは生きる
ここに幸あり 青い空
【『ここに幸あり』 作詩:高橋鞠太郎、作曲:飯田三郎 唄:大津美子 】
と小声で唄いだしたのである。
私は苦笑しながら、私の小学五年生の時にラジオから盛んに流れていた歌だったので、
俺も古い人間でやはり齢は隠せない、と思ったりしていたが、
思い出すように、
♪いのちの限り 呼びかける
こだまのはてに 待つは誰
君に寄り添い 明るく仰ぐ
ここに幸あり 白い雲
【『ここに幸あり』 作詩:高橋鞠太郎、作曲:飯田三郎 唄:大津美子 】
と小声で唄ったりしたのである。
私はカラオケは苦手であるが、現役時代におつきあい程度に唄ったしてきたが、
この『ここに幸あり』の歌に関しては、唄ったこともないのである。
私の少年期に聴いた曲が心の隅にあったのかしら、
と少し照れたりし、戸惑ったのである・・。
http
://www.youtube.com/watch?v=nio-JzYf3UY&feature=related
【『ここに幸あり』 作詩:高橋鞠太郎、作曲:飯田三郎 唄:大津美子 】
こうして、皿洗いをして、台所を清めると45分前後の作業だったが、
成果のある小綺麗になった台所を見ながら微笑んだりした。
この後、私は居間にあるパソコンに向かい、
このサイトで昨年の今頃はどのようなことを綴っていたのかしら、
と読み出したのであるが、思わず微苦笑したのである。
昨年の4月27日に於いて、
【 皿洗いの時、ロックが最適・・!? 】
と題して、投稿していたのであり、少しためらいもあるが、
再掲載をする。
【・・
家内が留守なので、昼食後のひととき、 私は台所に立った。
台所のひとつの戸を開け、そして前掛けをして、腕まくりをした後、
皿洗いなどをしたのであった・・。
CDラジカセを持ち込んで、一枚のCDをセットした・・。
少し山積みとなった皿、丼ぶり、小鉢などを水を盛大に出しながら、
スポンジでこすり洗ったのである。
心の中は、さぁ~いくぞ・・という心境である。
♪紅に染まったこの俺を慰める奴はもういない
【『紅』 作詞・作曲 YOSHIKI】
この後、台所専用の洗剤で皿などをこすった後は、水洗いを盛大にしたのであるが、
♪もう二度と届かないこの思い
閉ざされた愛に向かい
叫びつづける
【『紅』 作詞・作曲 YOSHIKI】
この歌は私は小声であるが、 ボーカルのTOSHIに負けじと唄い続けた・・。
この名曲は、ロックバンドのX JAPANであり、
この歌はある時代には、高校野球の応援歌で、演奏されたりしていた・・。
私は水洗いをしながら、この歌を『一曲繰り返し』セットし、
唄い続けたのであるが、不思議ながら合致するのである。
余りバラードであると、聴き込んでしまうので、
程々のハード・ロックが心身の波長に合うと、
小綺麗になった台所で、独り微苦笑したのである。
この後、台所の戸を開け、煙草を喫いはじめていたら、
玄関のチャイムが、
『コッキラ・・コ~ン!・・』鳴り出し、
私は玄関が見える窓から、そぉ~と見たら、
30歳前後の綺麗なご婦人が幼児を伴い、立っていた。
私は自治会の役員のお方が、
共同募金の収集でお見えになったのだ、と解かったが、
前掛けと腕まくりの60代の小父さんとしては、
少しあわてたのである。
そして、私は『はぁ~い』と大声で云いながら、
前掛けを取り、応対したのであった・・。
私は15分ほど早かったら、
X JAPANと共に、小声で唄っていたのであるから、
見せられる格好でなく
今であってよかったよ、と呟(つぶや)いたのである。
http://www.youtube.com/watch?v=JN6Io-tDVFI&feature=related
【『紅』 作詞・作曲 YOSHIKI】
注)ロックに伴い、程々に音量は大きいと思われますので、ご注意の程を♪
・・】
このように投稿したのであるが、
私はレコード会社の管理畑に長年勤めた身であり、楽譜も読めなく音楽の素養もないが、
年金生活の五年生になった今でも、ときおり聴いたり、
何となく鼻歌も唄ったりしている。
そして、4月30日に於いて、
【 私がおひとりさまになった、その時は・・。】
と題して、投稿しているが、再掲載をする。
【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
子供に恵まれことがなく家内と2人だりの家庭であり、
そして築後30数年の古惚けた家に住んでいる・・。
過日、鹿児島・市内と霧島温泉の帰路の際、
羽田空港の売店で何気なし見ていた時、
ひとつの雑誌の表紙の見出しに気になり、購入してしまったのである。
『プレジデント フィフティ・プラス』(プレジデント社)という雑誌であったが、
【 総力特集
金持ち定年、貧乏定年 】
と大きく明示されていたので、いやらしいタイトルであったが、
小心者の私は読みたいと思ったのである。
私は帰宅後の2日後に、この雑誌を読んだりしたが、
何より深く読んだのは、特集のひとつである『男おひとりさまの晩年』であり、
お金、住まい、相続、遺言、友達、そしてドッキリしたがセックスのことも、
やさしく教示されていたのである。
私は煙草も喫うし、お酒も好きだし、散歩する以外はスポーツはしないぐうだらな身で、
家内より早くあの世に行くと確信はしているが、
世の中は先のことは、何が起きるか解からないので、
家内に先立だれた場合のことを一年に数回ぐらいは考えたりしている。
家内とは日頃から、葬儀、お墓のことも何度も話し合い、
葬儀は親族関係だけの家族葬とした後、お墓は樹木園に埋葬し、
それぞれ好きな落葉樹の下で土に還る、
そして四十九日が過ぎたら、その時のきまぐれでお墓参りをすれば、
とお互いに確認し合っている。
私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようにこともあるのか、
と呆然としながら四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われる。
そして私は、料理、掃除、洗濯などは初心者の若葉マークのような身であり、
戸惑いながら行うが、
何より長年寝食を共にし、人生の大半の苦楽を分かち合い、
気楽に安心して話す相手がいなくなったことが困るのである。
この後は、やむえず古惚けた一軒屋を処分し、都立の大きな公園の近くで、
スーパーと本屋に10分前後で行けた上で、
大学病院に公共の交通機関の利便性のある場所で、
小さな2DKのマンションを選定すると思われる。
これ以前には、住まいが狭くなるので本の大半は処分し、1000冊前後に厳選した上、
映画などのビデオテープ、DVDはもとより音楽のカセット、CD、DVDは
程々に多いがすべて移動する。
こうした独り身の日常生活の時は、
付近の公園で四季折々の情景を眺めながら散策したり、
スーパーでお惣菜コーナーの売り場で買い求めたり、本屋に寄り、数冊を購入する。
そして週一度は定期便のような居酒屋に行き、
中年の仲居さんにからかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。
こうした中でも、私は家内の位牌の代わりに、
定期入れに愛用していた革のケースに、家内のスナップ写真を入れて、
いつも持ち歩くと確信している。
こうした日常生活を過ごすと思われるが、
私は国内旅行も好きなので、月に3泊4日前後で、各地を訪れるだろう。
劇作家のチェーホフの遺された、
《・・男と交際しない女は次第に色褪せる、女と交際しない男は阿呆になる・・》、
と人生の哲学のような名言は、どうしたらよいの、と考えたりするだろう。
そして、宿泊先の仲居さんで、お酌をして下さる方たちと、
やさしくふるまいながら語りあうと想像される・・。
そして、その夜は枕元に革ケースを置いて、
人生はいつまで続くの、と少し思いながら眠るだろう。
尚、私に知っての苦手な金持ち定年、貧乏定年の件であるが、
小学生からサラリーマン時代も通信簿『3』が多く、
東京郊外にたった一軒しか残せなかった拙(つたな)い身であり、
金融資産も億もないので、わが人生は通信簿と同様かしら、
と微苦笑している。
・・】
このように私は『おひとりさま』のことを綴ったりしているが、
果たして家内に実際死なれた時、果たしてどのような言動をするかは、
その時になってからしか解からないのも本音である。
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