夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

恥ずかしながら、『本日の主役は、僕なのですが・・』・・。

2009-08-16 21:26:51 | 青年時代の想いで
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
私が結婚したのは、昭和51年の春だった・・。

結婚式の1週間前になると、母は突然に思いつめたように、
『やはり・・貴方・・羽織(はおり)、袴(はかま)にしなくては・・おかしいわよ・・』
と母は私に言った。

私はサラリーマンの5年生であり、和服を身に付けた少なく、
着慣れたスーツの代わりに、黒の礼服を着れば良いと思っていた。

『でもねぇ・・結婚式は羽織、袴にして、その後の披露宴のなかばで・・
黒の礼服を着れば・・
そうして頂戴・・』
と母は私に言ったのである。


結婚式の当日の朝、式場の着付け室で私と長兄が和服の着付けをして貰う予約をしていたので、
50代なかばの女性、そして40代と思われる2人の女性が着付けをはじめてくれた。

私の父は小学生の2年の時に死去されたので、
何かと父の代理として長兄が面倒を見てくれたりした。

長兄はこの中のリーダー格と思われる50代なかばの女性人に、寸志を手渡していた。
しばらくした後、
『お兄様・・良いお召し物で・・
やはりある程度以上のものですと・・』
とこの女性の方は、兄の衣装を誉(ほ)めちぎっていた・・。
兄は旧家であったので、日頃から着慣れて折、高価な紋付の羽織と袴を持っていたのである。

私の方は、借り物の《やや良い》の部類で、昔の通信簿だと『4』程度であった。

しばらくすると、兄の着付けに何かと3人掛かりとなって、
私の方は誰もいなくなった。

『本日の・・主役・・僕なのですが・・』
と中年の女性達に聴こえる程度の小声で私は言った。

『あらぁ・・ご免なさい・・そうでしたわねぇ・・』
と40代と思われる2人の女性がきて、私の着付けをはじめた。

『主役の貴方・・スラっとしたお方で素敵ですが・・
でも、少しタオルを当てましょうね・・』
とひとりの方が言った。

私はこの頃は、体重は56キロ程度で、身長は170センチであった。

その後、私のお腹周辺にタオルを2枚あてがって、着付けをしてくれた。

着付けが終わると、私を鏡の前に導いて、
『お似合いですわ・・』
とリーダー格と思われる50代なかばの女性が言った。

私は不馴れな羽織、袴はそぐわなく落ち着きを失った上、
明(あき)らかに誉(ほ)めたおされていると感じ、
『兄貴・・俺・・先に出て・・煙草を喫っているよ・・』
と私は兄に大きな声で言った。

この後、結婚式を終えた後、私と家内は、新郎新婦の記念写真を撮るのであるが、
茶事を習っている家内は華やかな和服を召し、落ち着いた表情を湛えていたが、
私の羽織、袴、そして扇子を持った容姿は、うつろなまなざしの表情で撮られていた。



a href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

改めて、小学生時代の『ラジオ体操』の想いで・・。

2009-08-16 14:39:36 | 幼年・少年時代の想いで
私は東京郊外の小学校に入学したのは、昭和26年の春だった・・。

夏休みになると、近くのお寺の境内でラジオ体操が行われていた。
集合時間は、朝の7時頃だったかしら、と思っているが確かでない。

お寺のお賽銭箱の横の階段の横に、ラジオが置かれて、
NHKの『朝のラジオ体操』が流れると、近所の30名前後の小学生の前で、
6年生の班長が少し高い台でお手本のように始め、小学生達はそれに習って続く・・。

小学生は家を出る時は、必ず所定の出欠カードを持参し、
体操が終わった後、班長から出席のマークをカードに押して貰ったりしていた。

私の長兄、次兄は優等生であったので、6年生になると班長に選出されていた。

3男坊の私は、いじけた劣等性であったので、
学期末に通信簿を頂くたびに、担当の先生から、
『お兄さんのふたりは・・優秀なのに・・』
とため息まじりに私に云われたりしていたので、
私が6年なると、夏の『ラジオ体操』班長に選ばれる確率は少なかった。

結果として、班長は私となり、
この年から何故かしら副班長が設けられて、お寺の娘の同級生が選ばれた。

この夏、私は照れながら、俺でいいのかしら、と心の中で呟(つぶ)いて、
小学生達に出席マークを押したりした。


後年になると、私は小学生の夏休みの『ラジオ体操』を夢をみたりするが、
悪夢のようなことが多く、
私は目覚めるたびに苦笑したりしている。



a href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

改めて、私が映画を観はじめた頃・・♪

2009-08-16 11:30:58 | 映画・テレビ
私は東京の郊外の調布市で、昭和19年の秋に農家の三男坊として生を受けた。

祖父、父は、長兄、そして次兄が生まれ、三番目は女の子を期待していたらしく、
三番目も男の子かと戸惑っていたと思われる。
そして私の数年後に妹が生まれたので、
幼児の私は何となくいじけた可愛いげのない子であった。

私のおぼろげな記憶をたどれば、
私が最初に映画を観たのは、昭和26年の春に小学校の入学前、『長崎の鐘』だった、
と思い返している・・。

この頃は、ラジオからこの主題歌が流れていて、
私の幼児なりに、物悲しさを感じ、涙を浮かべたりしていた。

近所のお寺の境内で、隅にスクリーンが張られ、
夜のひとときを上映してくれた。
私は母に連れられ、近所の方達と共に立ちすくんで観た。
この頃は娯楽が少なく、こうした映画を無料で観られるのは、
稀(まれ)であったので、盛会だったと記憶に残っている。

帰宅の途中、母に手を引かれて歩いていた時、
夜空の銀河の天の川が綺麗であり、
年を重ねた64歳の今の私でも、あのような満天の煌(きらめ)いた星空は一期一会であった。

これ以前に観た映像作品は、祖父が自宅で近所の人達を集めて、
幻灯機で『母をたずねて三千里』を観たのが、幼児なりに記憶があった。

私が小学校の4年頃になると、
映画館にひとりで行き、東映の時代劇の3本立ちをたびたび通いはじめた・・。
『里見八犬伝』、『笛吹童子』、『紅孔雀』等であった。

母より100円を頂き、映画の入場料が子供40円で、電車の往復は10円であり、
帰路の街の中華店でラーメンが35円だったので、たびたび食べたりした。
そして、映画館の売店で残りの15円で都こんぶ等を買えたりした。

この映画館は翌週になると大映映画を二本立てで上映していたので、
予告編も上映されていた。

山本富士子、京 マチ子は大人の人すぎて興味がなかったが、
若尾文子、川上康子、八潮悠子を観たりすると、
都会の綺麗なお姉さんと感じたり、まばゆい文化にふれて、
子供心にため息をしたりした・・。

そして特に若尾文子には、色っぽい女の人、
と私の人生で最初にときめいた人である。

このような映画に熱中しはじめ、
中学、高校も相変わらず映画館に通いつめ、
やがて私は大学を中退し、映画青年の真似事まで一時的に過ごしたりした。



a href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まもなく処暑(しょしよ)を迎える時節、朝涼(あさすず)となり・・。

2009-08-16 08:07:00 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
先程の6時過ぎに玄関の軒下で煙草を喫ったりしていると、
鈴虫(スズムシ)の鳴き声が聴こえ、遠くから蝉(セミ)の合唱も聴こえてきた。
そして、いつものように定期便のように飛来する小鳥が、
花梨(カリン)の枝にたわむれている。

バスの通る大通りは、平素は自動車が盛んに通り過ぎるが、
ここ5日ばかりは世の中はお盆の時節で、帰省されるお方、旅行などで、閑散としていたが、
Uターンラッシュで少し平素に近づいたのかしら、と遠くに見える通りを眺めたりした。

樹木の葉がかすかに揺れる微風が吹くと、涼しくなったと感じたりした。

立秋が過ぎた今、残暑お見舞い、と古来の人たちから伝えられているが、
日中は30度前後の暑さが残るが、朝夕は涼しく、
まもなく処暑(しょしよ)を迎える時節だと、清々しく涼しげな空気が教えてくれる。

昨日は朝の6時過ぎは24度前後、日中は30度前後の快晴であったが、
微風が吹き、ひと頃の暑かった陽射しが忘れ去るようであった。
そして、夜のひととき、夜風が吹き、身体をゆだねるように身をまかせると、
心地よく感じられる。


私は暑さが苦手な身であるので、

   かそけきは 夏香り残し あさすずに

と戯(たわむ)れに詠んだりし、五七五にならないなぁ、と微笑している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まもなく処暑(しょしよ)を迎える時節、朝涼(あさすず)となり・・。

2009-08-16 07:58:45 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
先程の6時過ぎに玄関の軒下で煙草を喫ったりしていると、
鈴虫(スズムシ)の鳴き声が聴こえ、遠くから蝉(セミ)の合唱も聴こえてきた。
そして、いつものように定期便のように飛来する小鳥が、
花梨(カリン)の枝にたわむれている。

バスの通る大通りは、平素は自動車が盛んに通り過ぎるが、
ここ5日ばかりは世の中はお盆の時節で、帰省されるお方、旅行などで、閑散としていたが、
Uターンラッシュで少し平素に近づいたのかしら、と遠くに見える通りを眺めたりした。

樹木の葉がかすかに揺れる微風が吹くと、涼しくなったと感じたりした。

立秋が過ぎた今、残暑お見舞い、と古来の人たちから伝えられているが、
日中は30度前後の暑さが残るが、朝夕は涼しく、
まもなく処暑(しょしよ)を迎える時節だと、清々しく涼しげな空気が教えてくれる。

昨日は朝の6時過ぎは24度前後、日中は30度前後の快晴であったが、
微風が吹き、ひと頃の暑かった陽射しが忘れ去るようであった。
そして、夜のひととき、夜風が吹き、身体をゆだねるように身をまかせると、
心地よく感じられる。


私は暑さが苦手な身であるので、

   かそけきは 夏香り残し あさすずに

と戯(たわむ)れに詠んだりし、五七五にならないなぁ、と微笑している。



a href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする