夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『ネット検索、月間4775万人…6年で3倍・・』の記事、私は読んだ後は・・。

2009-08-21 15:26:18 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
今朝、読売新聞の朝刊に一番心を動ごされたのは、圧倒的に多い衆院選に関しての記事ではなく、

【ネット検索、月間4775万人…6年で3倍】

と題された見出しで、私は読みながら思わず微苦笑した・・。

この記事に関しては、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に於いて、
同一の記事がネット上で掲載されて折、無断であるが掲載させて頂く。

《・・
総務省は20日、ヤフーやグーグルなどインターネットの検索サービスの月間延べ利用者数が、
2008年1月は4775万人に上ったとの推計を発表した。

2002年1月(1646万人)の約3倍に急増し、検索を利用した広告市場も拡大している。

1人当たりの月間平均利用回数は8.9回で、2002年1月の約2倍。
検索可能な情報量も、ブロードバンド(高速大容量通信)の普及で動画や音声ファイルが増えたため、
2009年1月は6877テラ・バイト(テラは1兆倍)と、2003年1月(1199テラ・バイト)の5.7倍に急増した。

パソコン向けに検索サービスと連動したネット広告(検索連動広告)の市場は、
2008年度が前年度比20.4%増の1245億円となった。
2010年度には1524億円に達し、現在のラジオ広告市場(1549億円)に匹敵する見込みだ。

(2009年8月20日23時05分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。


私は民間会社を35年ばかり勤めて、定年退職を迎えたのは2004の秋であった。

私は大学を中退し、アルバイトをしながら映画、文学青年の真似事をした後、
30代を迎えた時を想像すると家庭を持ち妻子を養う自信がなく、
早々と断念して、コンピュータの専門学校のソフト系を一年間学んだ。

そして、ある企業に中途入社が出来たのは1970年の春だった。
この後の20年は情報畑に勤務し、汎用、オフィス・コンピュータなどの運営はもとより開発も従事したりした。
そして50代の初め管理畑に異動した後、55歳の直前に出向となり、
物流会社に勤務して、定年を迎えたのである。

このように長々と綴ったのは、バッチ(一括)処理は数多く携わってきたが、
オンライン処理などは直接に担当したことはなく、
ましてインターネットを活用する直接業務は皆無であった。
そして出向先に於いては、携帯電話も必須業務でなく、無知のまま定年を迎えたのである。

私は定年退職後に備え、自宅のパソコンを一新させたのは、退職時の二年前であったが、
多忙な勤務状況であったので、自宅に於いては個人的な電子メールの送受信などには余裕がなく、
殆ど個人的な資料を表計算を利用して作成したり、ソフト会社から販売されている日記に綴ったりしていた。

そして、退職時の数が月前に、インターネットを開設したのであるが、
ウェブ環境にただ驚き、ため息をつくことが多かったのである。
全くの初心者の身となり、ホームページの開設を思案したりしていた。

この後、退職後まもない時、本屋のあった一冊の本で、ブログの世界を知り、
私はブログ、ブログに準じたサイトなどに加入した。
そして、四つばかりのサイトに加入し、彷徨(さまよい)ながらも、
殆ど毎日投稿をしている。

この間、ネットを利用して、ニュース、旅行のことなどを検索して、
数多く学んでいるが、
ネットの買物、予約などは技量もさることながら、危険性を配慮して利用したことがない。

私は殆ど毎日ブログ、ブログに準じたサイトに数通投稿したり、
興味のあることを検索をしたり、4時間前後はバソコンに触れることが多い。

私は退職後の年金生活で驚いたのは、
ブログの飛躍的な利用者の増加であり、私と同様に、心の思いを自己発信する人が多いことであり、
そして2007年6月より、【YouTube】に於いて、日本語版を開始し、
音楽のバンドラの箱が開けられた、
と思いながら音楽の曲が大半自在に聴くことができたことである。

このようにつたない利用しか知らないが、
今後は更にネットを利用する方も増え、何よりも検索する量は多くなる、
と携帯電話は無知で、パソコンしか使えない私は深く確信している。




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ふたたび、 『花の金曜日』の想いで・・♪  

2009-08-21 07:58:32 | 現役サラリーマン時代の想いで
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
朝夕は過ごしやすいが、日中は30数度となり残暑は厳しい、と暑さに苦手な私は感じている。

私は愛煙家のひとりであるが、定年退職後まもなくして、
室内禁煙の宣言をして、庭の樹木の下、玄関の軒下など喫ったりしている。

先程も炎天下を避けて、軒下で喫ったりしていると、
現役時代の頃が想いだされた・・。


本社勤務が多かったが、この時節、ワイシャツとネクタイで出社すると、
まずはトイレの洗面所で顔を洗ったりした。

その後、出向時代の時、物流会社の倉庫で、冷房がないフロアーがあり、
不馴れな最初は眩暈(めまい)を感じたりした。

この時は、外廻りでスーツにネクタイの人を考えたり、
或いは炎天下の下で業務をする人を思いながら、耐えたりしたのが本音である。


先程、私は新聞を読みながら、最近はとみに曜日の感覚が薄らいでいるので、
金曜日だった、と教えられる程度となったのである。
そして私はぼんやりと、現役時代の連休前の金曜日の頃を思い出したりしていた・・。


私の現役時代は数多くのサラリーマンと同様に、
月曜日の早朝から業務に精進し、睡眠時間を削り、
金曜日の夜になると、やっと安息が得られる、といった心情であった。


私は大学を中退し、映画、文学青年の真似事をしたりした後、
昭和45年の春、ある民間企業に中途入社し、遅ればせながら社会人となった。
この頃の勤務形態は、隔週の土曜日が午前中勤務となっていた。

その後、何時ごろか完全5日制となって、金曜日の勤務が終わると、何かしらほっとした・・。

どなたが名付けたのかは知らないけれど、
連休前の金曜日を花の金曜日と称して、『花金』と省略し、
社内で花金だから・・と歓送迎会や懇親会を開催されたり、 仲良しグループで呑みに通ったりしていた。

業務が立て込んで夜の9時過ぎに会社にいると、
『忙しいのだったら・・明日の土曜日に会社に来て、じっくりと仕事をすればよいじゃない・・
ともかく・・いつものメンバーで待っているょ・・』
と気のおけない友人が電話を掛けたりしてきたので、
私は仕事を切り上げて、その場所に駆けつけたりした・・。

どなたも同じと思われるが人事異動のたびに、
歓送迎会が部課間で盛んに行われ、私も異動の折には開催してくれた。

50歳を迎えた頃から、人付き合いと体力も疲れ果てて、ある程度のつきあいとし、
私は自宅の最寄り駅の付近の居酒屋で、
毎週の金曜日の10時過ぎに、定期便のように独りでボケッと呑んだりした。

私は弐合徳利のその時に思いついた地酒を2本呑みながら、
板長の進めの単品を3品を食べたりした。
そして絣(かすり)を召した女将や仲居さん達にからかわれながら、
1時間半ばかり心の憩(いこ)いとしていた。

その後、55歳になると出向となってしまい、
勤務先が遠方の上、始業も早くなり、心身疲れきったので、 居酒屋に寄れる余裕もなくなった。
帰宅後、風呂に入った後、11時過ぎに家内と話し合いながら、
弐合徳利の純米酒を呑んだりした。


どの時代でもサラリーマンの方達は、
どなたも多忙な業務な勤務実態で成果を問われているが、
私は花金の夜のひとときは、秘かな息抜きで過ごしてきた。

退職後の今としては、遠い昔の出来事だった、と改めて感じている。


昨今は民間会社で成果主義の影響で、部署間はもとより、仲間うちでも競争が激しくなり、
ノミニケーションが薄らいでいる、と新聞、雑誌などで読んだりしたことがある。

その上、昨年の秋以来、世界的な経済悪化により、より各民間会社のサラリーマンは厳しさが増しているので、
私達が過ごしてきた時代と余りにも違い、過酷な時代であると、憂いたりしている。

退職後の無力な私は、せめて花の金曜日ぐらいは、
料理を頂きながら、お酒を呑み、最近の出来事を公私含めて他愛なく、話し合ったりし、
職場上の交流として、憩(いこ)いのひととき、と長年思ったりしてきたので、
現役の諸兄姉は少し寂しくない、と思ったりしている。

しかし、このような職場の交流がなければ、
帰宅されて、いとおしい妻、或いは主人と、夕食を頂きながら、
気楽に語り合いながら、過ごされる。
或いは、お子様がいれば、ご家族で団欒のひとときは、
何よりの贅沢な花の金曜日かしら、と私は思ったりしている。



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