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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

中島みゆき女史のファンの私は、女性化粧品のCMに見惚(みと)れて・・。

2009-11-07 17:01:29 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
先程、時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を見ていたら、

《 中島みゆき&松田聖子 歌姫のCM共演が実現》

と見出しを偶然に見つけて、私は中島みゆき女史のファンのひとりであるので、
こっそりと見てしまったのである。

無断であるが、記事の内容を転載させて頂く。

《・・
歌手の中島みゆき、松田聖子が出演する富士フイルムのスキンケア化粧品「アスタリフト」の第4弾CMが放送される。

これまでのCM撮影は別々に行われていたが、今回ようやく“共演”が実現。
鏡の前で化粧水をつける場面では、絶妙な掛け合いで息もピッタリ。

CM用のオリジナルソングを口ずさみながら料理をするシーンでは、
歌姫2人のハーモニーにスタジオ中がうっとりした。
終始笑顔の絶えない撮影現場について松田は
「中島さんと一緒の撮影は、和気あいあいとしていて、あっという間に時間が過ぎてしまいました」
と振り返った。

新CM「ハリーさん・歌う」編、「ハリーさん・語る」編は7日から全国で放送予定。
出席者:中島みゆき、松田聖子
(2009/11/05)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.jiji.com/jc/c?g=ent2_ent2&k=g091372


私は以前、居間で家内がテレビを視聴していた時、
何かの化粧品のコーマシャルで、このお2人が共演されているのを見た時、
思わず微笑んだりしたのであった。
このお2人の異色の共演をさせた方の才気に、脱帽させられたのである。

この後、私なりに思ったのは、40代、50代の女性にこよなく愛用して頂く為に、
異色の共演でインパクトを視聴者に与える、このようなことを思ったりしたのである。

私はこのコーマシャルが富士フイルムのスキンケア化粧品「アスタリフト」と初めて知ったので、
私はこの富士フイルムのサイトを検索したのである。

私は昭和の終る頃に遅ればせながら中島みゆき女史の音楽に魅了され、
私の人生のなかばに於いて、女史の歌で幾たび救われたりした。
私の夢中になり熱中した平成5年頃までは、音楽のCDはもとより、
随筆、歌詞の本、そして女史についての評論された本も殆ど購入して読んだりした。

この頃、女性用の『With』という雑誌で、
中島みゆき女史の少しばかり微笑を浮かべた表紙を見かけて、
恥ずかしながらこっそりと購入したのである。

こうした私の性格があるので、たとえ富士フイルムのスキンケア化粧品CMであろうと、
家内のいないところで秘かに見たのである。

http://www.fujifilm.co.jp/corporate/news/articleffnr_0330.html
☆ 富士フイルムのスキンケア化粧品「アスタリフト」 共演のお2人 ☆

この後、私は
『聖子ちゃんは相変わらず綺麗だねぇ・・みゆきちゃん・・だって綺麗で素敵だょ・・』
と私は心の中で呟(つぶ)いたのである。




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『女史』という敬称の言葉は・・。

2009-11-07 14:20:01 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
シンガー・ソングライターの中島みゆきさんの歌に人生のなかばで、
たびたび救われたので、このサイトでときおり女史と敬称を使用していたのである。
一部のお方から、誤解されますから、おやめになった方がよろしいですわ、
とさりげなくコメントされたことがある。

私はそうかしらと思いながら、パソコンの横に置いている辞書を見たりしたのである。
愛用している久松潜一氏が監修された『新潮国語辞典 ~現代語・古語』(新潮社、発行・昭和40年11月)に於いては、

①昔、シナで、記録をつかさどった女官。
②昔、文書をつかさどった女官。
③知名の婦人・女流芸術家に対する敬称。

このように明記されていたのである。


この後、私は最新の辞書はと思いながら、ネットで調べたら、
【kotobank デジタル大辞泉】に於いては、

《昔、中国で、記録の事務を扱った女官の称から》
1 社会的地位や名声のある女性を敬意を込めていう語。また、その女性の名前に添えて敬意を表す語。
2 昔、文書の事務を扱った女官。

出典:小学館  監修:松村明

このように明示されたので私は微笑んだのである。


私はもとより女性の中で、特に私が深く感銘を受けた社会的地位や名声のある女性に対し、敬愛をこめて、
女史という敬称を使用している。

たとえば、中島みゆき氏では、何かしら固苦しく、他人行儀のようであるし、
中島みゆきさんでは、敬愛していても何かしらおかしく、
まして私より齢下のお方であるので、中島みゆきちゃん・・馴れ馴れしく失礼であるし、
中島みゆき、などと呼び捨てにするのは論外と思ってきたのである。
止む得ず、中島みゆき様と照れ隠しのように綴ったりする時ある。

このような思いで、中島みゆき女史、私の心からしてびつたりと確信したのである。


昨今の一部に於き、気性の勝った女性をからかい気味に言う時にも用いられる、
と何かの本で読んだことがあるが、
こうした解釈をされる方は、特に平成の初めの頃から社会が劣化した風潮の中で、
薄まった文化しか学んだことのない人である。

ときおり私は女史という敬称をしている人は、中島みゆき(なかじま・みゆき)女史の他に、
思い続けるままに明記すると、
作家の塩野七生(しおの・ななみ)女史、評論家の櫻井よし子(さくらい・よしこ)女史、
随筆家の呉善花(お・そんふぁ)女史・・私はこの世を去るまで敬愛する人である。

そして、ここ5年前頃から作家の対談の名手である阿川佐和子(あがわ・さわこ)さんも、
女史と敬称するか迷ったりしている。






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東京郊外は、暦(こよみ)の上では立冬であるが、晩秋の情景を迎え・・。

2009-11-07 08:01:19 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
今朝、ぼんやりとカレンダーを見たら『立冬』と明記されて、私は微笑んだりした。
古来より『立冬』は、冬のはじまりと云われているが、
東京の郊外は、ここ数日は秋日和に恵まれている。

昨日は朝の6時は9度、昼下がりは19度、夜の6時には15度となり、
先程、地元の天気情報に寄ると、
朝の6時は10度あったし、昼下がりは20度前後、夜の6時も16度前後が予測され、
暖かな秋日和を迎えている。

我が家の紫式部(ムラサキシキブ)のたわわな実は紫色に色合いを深め、
花梨(カリン)の大きな実は黄色に染められはじめ、
一昨日はときおり風が強く吹いて、木枯らしかしらと感じたりした。

買い物や散策の時に見かけたのであるが、
小公園に通り過ぎると、落ち葉が空中に舞い上がり、
地上は吹き寄せのように落ち葉が道路のはずれ、建物の片側に押し寄せられていた・・。

空は青く澄み切って、風がなければ、ぽかぽか陽気となっている。

帰路、住宅街を通り過ぎたが、どのお宅も落ち葉の吹き寄せとなっている。
風のあたらない一角に空き地があるが、
陽射しをさんさんと受けて、コスモスの残り花、、薄の白い穂が微(かす)かに揺れていた。

このような思い過ごしてきたが、確かに東京郊外は晩秋がはじまった、と実感している。

これから時節、我が家の雑木の多い庭も付近の情景も朱色、黄色に染められた錦繍の時節を迎えるので、
12月の初旬の頃まで私の心は小躍りして、晩秋に愛惜を深めて散策したりしているのが、
毎年のならわしである。

果たして、今年の錦繍の美景は・・と思いながら朝のまぶしい陽射しを受けている。



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