夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私なりの定年後の『文化の日』の思いは・・。 《下》

2009-11-03 15:01:22 | 定年後の思い
一昨年の2007年11月3日に於いては、たまたま沖縄本島に旅行中であった。
家内の母が『ひめゆりの塔』に参拝した後、沖縄の風景を観てみたいわ、
という要望で出かけた旅路であった。

このことについては、このサイトに【沖縄本島滞在記】と題して投稿しているが、
私達夫婦は家内の母を誘い、3人で沖縄本島を8泊9日で訪れている。
那覇のシティホテルで連泊しながら南部観光をした後、
中北部のリゾートホテルで6泊し、中北部の観光を周遊している日であった。

もとより私は家内の母と温泉滞在旅行を含めて3人で旅行をする際は、
私は出来る限り、家内達と日中は別行動をしている。

婦女子の周遊する所と私は殆ど別要望であり、
家内達もそれぞれの思いで、母と娘の2人で好きなところを廻れば良い、
と思っているからである。

【・・

   第7章 『美ら海(ちゅらうみ)桔梗(ききょう)』に魅了され・・♪
11月3日

私達3人は、『海洋博公園』に行き、家内達は『美ら海水族館』やイルカを観に行くので、
私は予定通り別れた。

http://oki-park.jp/index2.html
『海洋博公園』


私は日頃から中年女性のしぐさ、言葉が好きである上、
植物を愛するひとりとして、樹木、草花を観るので、園内の遊歩道を歩きはじめた・・。

国営沖縄記念公園の別称に相応しく、園内は小奇麗に整備がゆきとどいている。
いかにも沖縄の風土に適した樹木、草花が適度に配置されて折、私の目を楽しませてくれた。

遊歩道の所々、海が目の前に観える展望台に行ったり、
或いは海岸の歩道を歩(あゆ)めば、険しい岩の崖に波が押し寄せている・・。

空は雲はわずかに浮かび、青一色で無限のような拡がり、
そして海は蒼く、果てることのないように彼方まで望み、風は爽やかに私の身体を通り過ぎていく・・。

このような光景を眺めたりしていると、
古来より沖縄の人々から、『美ら海(ちゅらうみ)』として慕われているのが、
私なりに理解ができた。

植物園に戻ると、つる植物園の中で、蔦(ツタ)のように緑色の葉が生い茂って折、
この中で数多くの薄紫色の花が、ひっそりと咲いていた。

私の住む東京の郊外では見かけることのできない花であり、
あえて表現すれば、
アサガオの満開の花びらのようでも思え、色合いは桔梗に似ているかしら、
と感じたりしたのである。
いずれにしても、私のつたない感性であるが、
まぎれなく奥行きのあり品性がただよう、数少ない花のひとつである。

私は、この薄紫色の花を、文化の日に伴い、秘かに『美ら海桔梗』と名付けた。

園内を辞する時、植物に詳しい係員の方から、
『その花は・・ベンガル・ヤハズ・カズラ・・と思いますよ・・』
と私に教えてくれた。

今回、本島を8泊9日で旅をしている身であるが、
私はこの薄紫色の花に最も魅了され、
のちの想いとしても、深く私の心に残る花である。


   第8章  旅先で投稿するには

私はこのサイトで、10月31日~11月4日に於いて、
第1章から第7章まで投稿した場所は、りゾート・ホテルの一角からであった。

http://www.kariyushi.co.jp/beach/
沖縄かりゆしビーチリゾート・オーシャンスパ

昨夜、沖縄本島から帰宅し、今こうして自宅で綴っているが、
滞在先のホテルのインフォーメション・センターと称された
観光遊覧の相談所で投稿していた。

この相談所は20代の女性が3人いて、
常時2名で対応している。
机上にはパソコン等があり、ある程度はお客様の相談事を笑顔で応じている。

このルームは15坪前後の広さがあり、
壁際にインターネットが対応されたパソコンが2台あった。
お客様自身が観光先などを検索されるのに設置されていると思われる。

私はこの中で1台を使わして貰い、このサイトに投稿していた・・。

ホテル内の滞在客の多い中、ときおり投稿したのであった。

このサイトに投稿は旅先なので、優先順位は二の次、三の次となる上、
このようなインターネット環境なので、や止む得ないと思っている。

この相談所の女性たちと、私は良くお話をした・・。

こぼれ話のひとつとしては、
モンゴル800の『あなたに』のことで、
『モンパチの『あなたに』に魅了され・・ベランダで鼻歌を唄ったり・・していますよ』
と私は云ったりしていた。

『好い歌ですよね・・私が中学3年の時・・大ヒットし・・
私も大好きな歌のひとつです・・』
と微笑みながら答えてくれたりしていた。

私は齢を重ねた63歳のお客の身であるので、、
相手のお方は40歳以上確実にお若い20代の沖縄美人は、さりげなく応じてくれる。

この後、私は沖縄出身のモンパチの件で、お互いに微笑みながら話し合ったりしていた。

http://www.youtube.com/watch?v=G2mRUU8WI8w
【『あなたに』 作詞・Kiyosaku Uezu、作曲・モンゴル800】


   第9章  乙女たちのエメラルド・ビーチ

『海洋博公園』で私が散策した樹木、草花園のもう一方の反対側には、
エメラルド・ビーチがある。

白いペンキの大きな休憩所が二つほど並びあり、
その先端には憩いの浜、眺めの浜、そして遊びの浜と称された浜は、
白い砂浜が拡がり、椰子(やし)の樹木、空の青さ、海は蒼く、彼方の海上は解けてしまうような光景である。

こうした中で、波が白い砂浜に押し寄せ、
数多くの白いサンデッキが並び、そして色鮮やかなパラソルがある・・。


今回の旅の初め頃から、首里の王陵、首里城、
南部のひめゆりの塔、平和祈念公園、玉泉洞を私達3人は観て廻ったが、
幾つかの高校の修学旅行の生徒と出会ったりした。

タクシーのドライバーの方から教えて頂いた話であるが、
生徒たちの3、4人でタクシーで好きな場所を周遊するのが昨今の傾向となっている、とのこと。
事前に先生の了解を得て、各観光の周遊プランをタクシー・ドライバーと再調整しながら、
あちらこちらに観たりしているのが多い、と教えてくれた。


エメラルド・ビーチを私は散策していると、
高校生の女学生の4人は歓声をあげて、お互いに携帯電話で写真を撮ったりしていた・・。

『よかったら・・小父さん・・みんなの記念写真・・
撮ってあげるよ・・』
と私は女学生のひとりに大声で云った・・。

ひとりの女学生が、もじもじと家内と同様の写ルンを取り出して、
『嬉しい・・小父さん・・お願い・・』
と私に簡易カメラを手渡した。

4人の女学生は、それぞれのポーズを取りながら、右手はVサインであり、
私は微苦笑しながら、シャッターを押した・・。

『小父さん・・有難うございました・・』
と2人の女学生が大声で云われ、
私は照れた。

その後、4人の女学生は波打ち際に歩き出して行き、
微風の吹く中、スカートの裾が揺れていた。

私は南国の白い砂浜と陽射しのまぶしさ、そして海の蒼さの光景は、
乙女たちの夢のひとつ、あこがれが、目の前に拡がっていることを了解できた。

・・】

このようなことが一昨年の11月3日の出来事であり、
今の私は微苦笑しながら、楽しいひとときであった、実感している。


2006年11月3日に於いては、
朝の7時前に【読書から文化のひとつを教示・・♪】と題して投稿している。

【・・
ここ数日、嵐山光三郎・著の『追悼の達人』(新潮文庫)を読んでいる。

特にこの中で教えを受けたのは、宮沢賢治は追悼によって世に出た、と読んだ時は驚いたりした。

著作者の嵐山光三郎・氏の格調たかい名文を引用させて頂きます。


昭和8年、花巻で無名の詩人が急性肺炎で死んだ。
・・・
(宮沢)賢治の死は、詩人仲間の草野心平の手で友人たちに知らされたのみであった。
・・・
没後、唯一、次郎社より「宮沢賢治追悼」雑誌が出た。
草野心平が逸見猶吉と企画した同人雑誌「次郎」が形を変えて出版された追悼集で・・・

この薄い一冊の追悼文集に寄り、宮沢賢治への評価の起爆剤となった・・・


そして、著作者の嵐山光三郎は、
いまの日本詩壇に、無名詩人を発掘する第二の草野心平がいるだろうか・・
と結びの文として綴っている。


私は宮沢賢治に関しては、無知なほうである。
数年前、雪の降る時節に、花巻温泉に滞在して、
その折、宮沢賢治記念会館に行き、見学し、多少学んだ程度である。

東北地方の観光面に於いては、松尾芭蕉と並び宮沢賢治の両名を活用し、
知名度の向上を果たしたりしているのが、昨今の実態である。

いずれにしろ、無名で亡くなった詩人が詩人達の好意により薄い追悼文集が起爆剤となり、
詩壇はもとより文化のひとつまで足跡を残させた史実に驚いている。
・・】


そして午後3時前後に、【ときには、ため息・・♪ 】と題して投稿している。

【・・
東京の郊外は、文化の日に相応(ふさわ)しく、おだやかな秋日和となっている。

私は昼過ぎに買い物に行く時、少し遠回りして川沿いの遊歩道を歩いた。

川べりの薄の群生の穂を見たり、せせらぎの流れ、川面の陽射しを見つめたりした。

最近、この付近の住宅分譲地が40坪弱で5000万円を超える新聞の添付チラシが入っていた。
この分譲地は私は知っているが、こんなに評価されてもいいのかしら、と思ったりしている。

そして、今朝の読売新聞で【安倍内閣 閣僚の公開資産】の発表記事を思いだした。

この中のお1人が、富山市、魚津市に自宅があり、宅地、田、畑、山林、原野、池沼、雑種地を保有し、
固定資産税課税標準額で算出されているが余りの安さに驚いている。

私の住んでいる宅地の課税標準額と比べれば、
このお方の所有されている土地すべての5倍前後は理論上保有できることになっている。

ある地方都市の郊外は、このような評価をされているのかしら、ため息をついたりした。
或いは都心の郊外などは過剰な実態なのかしら、と思ったりしている。

私は地方の里山の一角に平屋の一戸建てで住むのが夢であったが、
サラリーマンとして都心に長らく勤めている間、止む得ず断念した思いがあるので、
羨望のわだかまりが少し残っている。

こうした思いがあるので、少しこだわっているのが本心である。

尚、閣僚、国家議員のお方達の中で、有価証券として株を保有されているが、
心の節度として、おかしな事と思っている。
・・】


この後、午後9時半過ぎに、【秋深まり、十三夜・・♪ 】と題して投稿している。
【・・
昨夜のテレビで天気予報を報じていた折、、明日の文化の日に十三夜・・眺められれば、
と若い女性のキャスターが云っていたのを想いだした・・。

6時過ぎ入浴の後、雲の多い夜空を観たが、月が雲隠れしてしまい観られなくなった。

その後、家内が入浴の後、
『貴方・・こちらの方よ・・』と家内は言った。

2階の洋室の窓辺から、雲の流れる合間から、煌々と十三夜が観られた・・。

私は十五夜も好きであるが、秋の深まった今頃の月の眺めに哀歓を感じる。

月の眺めは、早朝の月、昼の月、そして春、夏、冬とあるが、
私にとっては、自身のその時の心境の合わせ鏡、と歳を重ねるたび深まりを覚えている。

こうして眺めているが、秋を彩る朱色、黄色の葉と同様に、
同じように季節は巡って来ているように思われるが、
年々歳々 花相似 年々歳々 人不同
という名言が心に沁みてきている。
・・】

この年はこのような心情で過ごしていたか、と私は微笑んだりしている。


そして、初めて定年退職の一年を過ぎた2005年11月3日に於いては、
朝の11時過ぎに、【改めて、文化の日とは・・♪】と題して投稿している。

【・・
今朝、インターネットの検索をした所、
この日は戦前に於いて、『明治節』と呼ばれ、明治天皇の誕生日を寿(ことほ)ぎ、偲(しの)ぶ日とあった。

昭和23年7月20日に『祝日法』が公布され、
【自由と平和を愛し、文化をすすめる】趣旨により、『文化の日』となった。

私は昭和19年9月に生を受けたが、このような由来は無知であった。

私は、この日に関しては簡潔に解釈している。

人々の営みの集積が文明であり、その一端に文化がある、と思っている。

山川草木の美しい日本の風土を秋の或る日、
その人となりに思いめぐらせ感謝すれば良い、と信じている。
・・】


この後、朝の11時半過ぎに、【秋時雨(あきしぐれ)のひととき・・♪ 】と題して投稿している。

【・・
早朝、東京の郊外は薄日の朝だった。

そして曇り空となった後、肌寒くなり、急に雨が降り出してきた。
雨脚はさほど強くなかったが、一時間過ぎると止んだ。

庭の黒土が鮮明となり、無花果(イチジク)の黄葉した後の枯れた葉、
紫木蓮(シ・モクレン)の枯れた葉が、数枚づつ落ちていた。

そして薄日の後、秋日和の穏やかな情景となっている。
・・】


そして、夜の7時半過ぎに、【晩秋の夜には・・♪ 】と題して投稿している。

【・・
先程、暗くなったので、戸締りをした。

この後は、六時のニュースを観た後、お風呂にのんびりと入る。

温まった身体で、夕食を頂きながら、純米酒を弐合徳利を人肌ほどに温めて、
この日に応じたぐい呑みで頂く。

現役の頃は、程々に呑んでも大丈夫であったが、
最近は弐合を呑むと、陶然となる。

緊張感もなく、気負いもなくなった今、
体力も衰えたせいか、この程度で充分となり、煎茶が欲しくなる。

このことは、退職の頃、予測しなかったことである。
・・】


このように定年退職後、毎年『文化の日』を過ごしているが、
この時の私の思いを投稿文をしてきたが、過ぎてしまえば少しはかなくも、
やはり私の心には微苦笑を重ねながらも、愛惜があるのは本音である。



a href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私なりの定年後の『文化の日』の思いは・・。 《上》

2009-11-03 07:01:06 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨夜、どんよりとした曇り空でときおり霧雨が降り、その上に風が吹く寒い日となり、
私は木枯らしかしら、と思ったりした。

今朝5時過ぎに目覚め、薄暗い中、玄関の軒下で煙草を喫いながら、
空を眺めたりした。
月が煌々と光を帯びて、空一帯は10数の星が見られ、快晴の日中かしら、
と微笑み、居間に戻った。

ガスファンヒーターで暖房にセットした後、
地元の天気情報を見ていたら、
朝の6時は7度で、日中は快晴となり13度前後、夕暮れ後の6時には10度前後、と報じていた。

私としては平年より5度前後低いので12月中旬ぐらいかしら思い、
秋晴れより冬晴れに相応しい<、と微苦笑したのである。

そして、『文化の日』を迎えたので、少しばかり心身緊張して、と心の中で呟(つぶ)きながら、
昨年の時はと思いながら、このサイトを開いたのである。

【 改めて、『文化の日』を迎えて・・♪ 】
と題して、このサイトに投稿しているが、あえて再掲載をする。

【・・
私は齢を重ねた64歳の身であり、日頃はネットで【日本文化いろは事典】をこよなく愛用している。

『文化の日』を迎え、先ほどから、『祝日・休日』の項目より、
『文化の日』を開き、読んだりしているが、少し漠然としたのである。

http://iroha-japan.net/iroha/A02_holiday/13_bunka.html

そして私は、具体的に知りたくなり、
フリー百科事典として知られている『ウィキペディア(Wikipedia)』で、
『日本の文化』を開き、ここ1時間ばかり読んでいる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96

私は年金生活の5年生となり、
日頃の多くは、小説、随筆、歴史書、現代史などを読み、
新聞、月刊総合雑誌を読んだりして、活字文化をこよなく愛している。
そして、このサイトに散文を綴り、ほぼ毎日投稿したりしている。

ときおり、映画も居間で鑑賞したり、音楽も聴いたりしている。

外出は年金生活後に日常の買物は私の専任となり、
最寄のスーパーの数軒、ドラック・ストアーに行くことが多い。
そして駅前に出る時は、本屋に寄ったりして、店頭の本を眺めたりして、数冊を買い求めることが多く、
古本屋に行き、買いそびれた本にめぐり逢えた時は、小躍りしながら購入し、帰宅したりしている。

そして、こうした買物、散策の折、
樹木や草花を眺めて、季節のうつろいを享受し、
すれ違う女性の何気ないしぐさ、表情から人生の微笑みを感じたり、
或いはご近所の奥様と立ち話をしたりしている。

ときおり庭の手入れをしたりし、季節に応じた樹木や草花に心を寄せたりしている。
そして、私は玄関の軒下、主庭のテラスで、煙草を喫ったり眺めたりしている。

夜になると、晩酌をするので、
その日に応じた弐合徳利とぐい呑みを選び、純米酒の辛口を呑んだりしている。
そして、今の時節は、伊予産の柚子(ユズ)などを齧(かじ)りながら、呑んだりし、
寝る前には玄関の軒下で月を眺め、誉(ほ)めたりしていることが多い。


私たち夫婦は、国内旅行が共通の趣味なので、
ときおり各地に訪れて、その地の風土、文化を学んだりしているのである。
そして、その地の料理を頂きながら地酒を呑んだり、和菓子などの食べ物も賞味したりしている。

このように日々を送っているが、拙(つたな)い私さえ、
さりげなく文化を学び過ごしているのである。

・・】

このように昨年は綴っているが、殆ど最近も変わらないでいる。
ただ、無念ながら、日本酒からビールに変わったことである。
本年の2月にメタボの研修を受講した時、保健医の若き女医さんより、
日本酒の弐合から缶ビール350mlを2本までね、と優しく云われて、
確かに体重は減ったのである。
私は旅行先、冠婚葬祭以外は、原則として自制している。
弐合徳利、ぐい呑みは、寂しそうにしているが、止む得ないと苦笑している。


                              《つづく》


a href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする