私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みの住宅街のはずれで、
築後36年が過ぎた古びた一軒屋に住んでいる。
そして小庭にある落葉樹が多い樹木、草花の四季折々の移ろいを眺め、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家族で、お互いの趣味を尊重して過ごしている。
私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
多々の理由で 年金生活を始めた・・。
そして運動神経の衰えを感じて、やがて自動車の免許書の更新時の際、やむなく破棄したりし、
写真入りの身分証明証は、海外旅行に興味を失くしてパスポートも期限切れとなり、
せめてと思いながら市役所に出向いて、『住民基本台帳カード』を作成したりした。

何かしら我が家の周辺のお住まいのお宅に於いては、殆どが自動車を所有しているが、
我が家は自動車も所有できなく、昨今のガソリンの価格も無知となっている。
その上、私たち夫婦は携帯電話に関しては、使えないので保有することなく、
ましてスマートフォンも使えず社会からの時流から確実に取り残されている、
と私たち夫婦はときおり感じながら苦笑したりしている・・。
やむえずインターネットに関しては、『フレッツ』の回線で、パソコンを利用している。
そしてパソコンは、主力機はOSと称される基本システムの『ウィンドウズ8(エイト)』で殆ど毎日愛用し、
補助機として旧機の『ウィンドウズ7(セブン)』を時折使用している。

私は若き頃の30代のなかばに、私の生家の近くの空き地に一軒屋を建てた時、
家内は中学生の頃から茶事を学んでいたので、私は若気の至りで気負って、
家の中の一室を茶室として付け足したりした。
しかしながら程々の年収であったので、住宅に関してのローンは我が家としては重く家計を占めた。
このように状況であったので、私は返済に困苦する中、
専業主婦だった家内は、やむなくデパートの呉服売り場などで契約社員として働き、
新居してからまもなく3年ばかり家計の強力な支援を受けたりした。
そしてスーパー・マーケットさえも、ディスカント風の低価格店から中級店、そして高級店まで、
その時に応じて利用してきた。

定年後の年金生活を始め、私は自主的に平素の買物担当となり、
殆ど毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
そして時折、小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

このような拙(つたな)い年金生活をしているが、
昨夕、家内から『明日(あした)・・4月の家計簿・・締めましょうか?』と私は言われて、
『結構ですね・・やりましょう』
と私は若き自衛官の諸兄に負けないように、明るく大きな声で応(こた)えた。
私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した直後から年金生活をし、
現役サラリーマン時代の緊張感から解放されて、やがて高齢者の身になったので、
ボケてはいけない、と家の中でも明るく大きな声で家内と会話することが多くなっている。
我が家の生計は原則として、厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で日常生活を営んでおり、
冠婚葬祭、思いがけない出来事、そして私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して過ごしている・・。
そして我が家は、日常は買い物したレシートなどを、
家内が一週間に一度ぐらいノートに簡単に集計している程度であり、
月末の前後に私たち夫婦は家計簿の月次決算をしたりしている。

本日の午前中のひととき、家内が支出のそれぞれの区分項目を読み上げて、
私はパソコンの表計算ソフトを利用して、入力したりしている。
そして収入の項目を入れたり、銀行、郵便局などの残高を入力した上で、
5表ばかり我が家の独自の家計管理表を作成している。
そして4月の家計簿の月次決算を終え、
連動した計算で2014〈平成26〉年度の1月度~4月度までの決算も終えてしまったのである。
そして今年も幾たびか国内旅行をしたり、親戚、知人の葬儀などもあり、
もとより赤字となり、私たち夫婦は微苦笑しながら、旅先のこぼれ話をしたりした。

このような家計簿の発想の根源として、私が独身時代に、
自身がその日の心情に応じて、本、レコードなどを買ったり、居酒屋、
ときには恋しい女性との交遊などで散財していたので、
ふしだらな私でも月に一度ぐらいは現状把握と思い、秘かに家計簿をつけたりしていた。
やがて家内と結婚した1976年〈昭和51年〉の春からも、
少なくとも交際費、住居費、衣服費、食費などは増加するので、
私たち夫婦は毎年の年の始めた頃に、思いついた購入する予定の品物、旅行計画などの概要の経費を話し合ったりし、
今日に至っている。
こうしたことで、概算予算の年次計画が出来上がり、そして月次予算も作成し、
月末の前後に実績を入力し、今月も赤字だょねぇ、と30代後半などは、お互いに微苦笑し、
やむなく夏季、冬季のボーナスで何とか赤字を解消したのが実態であった。
年金生活をして5年頃までは、特に耐久商品と称される品の購入には、
私は気弱になり、耐久商品の買い替え時にためらったりしてきた。
我が家の家内は、テレビ、パソコン、デジカメなどに無知なひとりで、
こうした商品は半永久的商品、と確信したように思い続けていることであった。
私が現役時代の時は、程ほどの年収を得ていたので、幾たびか買い換えてきたが、
しかし年金生活となれば、限りある厚生年金、企業年金、個人年金からの収入には、
もとより限度があるので、私は気弱になり、予算を計上するできなかったりした。
こうした中で、私の愛してやまないパソコンが壊れたりすると、どうしてなのょ、
と私はパソコンを眺めて困惑した体験をしたりしてきた。
やむなく定年後の年金生活の10年近くなる今日まで、3度ばかり買い改めたりしてきた。
このように私は、年金生活をしていると、予期せぬ出来事に関しては、
この齢になれば親戚、知人などの葬祭などの出費が多くなり、
悲しみと共に困惑しているのが、昨今の私の正直な心情でもある。
そして我が家の銀行、信託銀行などの貯蓄は、安全利回りが原則で、金利はわずかであり、
年金生活をして10年目となるが、もとより毎年は赤字なので、残額は予定通り減るばかりとなっている。

しかしながら戯(たわむ)れを許されれば、何か我が家は金運上昇かしら、と思ったりしている。
私は市内にある深大寺に、昨年の年の初めに初詣に訪れた時、
境内の土鈴の売り場の美少女に見惚(みと)れて、
ひとつ買い求めたのが、土鈴『大黒天(豊作・財福の神)』であった。
そして帰宅後、我が家の居間の片隅みにあるCDケースの上に安置し、記念写真を撮ったりした。

そして敬愛している書家・詩人の相田みつをの『日めくり ひとりしずか』の前に置き、
私が毎朝向って、氏の綴られた本日の格言を、何かと私の独断と偏見の多い日頃の言動の多い中、
人生の戒(いまし)めとして、心の中で、呟(つぶや)いているが、
この横に安置している土鈴『大黒天(豊作・財福の神)』が微笑んでいるので、
何かしら良いことが招来するのかしら、と思ったりしている。
何よりも年金生活をして以来、確実に増えているのは、
現役サラリーマンの時は苦楽の激しかった時が過ぎ、家内と共に過ごしてきた平穏な生活であり、
こうした中で、デジカメで撮った写真は記憶の数々のかたみであり、
或いはブログの日々の思いの投稿文であり、過ぎ去り日々に愛惜を重ねたりし、
時が過ぎるのが早いなぁ、と私は微笑んだりしている。
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世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みの住宅街のはずれで、
築後36年が過ぎた古びた一軒屋に住んでいる。
そして小庭にある落葉樹が多い樹木、草花の四季折々の移ろいを眺め、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家族で、お互いの趣味を尊重して過ごしている。
私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
多々の理由で 年金生活を始めた・・。
そして運動神経の衰えを感じて、やがて自動車の免許書の更新時の際、やむなく破棄したりし、
写真入りの身分証明証は、海外旅行に興味を失くしてパスポートも期限切れとなり、
せめてと思いながら市役所に出向いて、『住民基本台帳カード』を作成したりした。

何かしら我が家の周辺のお住まいのお宅に於いては、殆どが自動車を所有しているが、
我が家は自動車も所有できなく、昨今のガソリンの価格も無知となっている。
その上、私たち夫婦は携帯電話に関しては、使えないので保有することなく、
ましてスマートフォンも使えず社会からの時流から確実に取り残されている、
と私たち夫婦はときおり感じながら苦笑したりしている・・。
やむえずインターネットに関しては、『フレッツ』の回線で、パソコンを利用している。
そしてパソコンは、主力機はOSと称される基本システムの『ウィンドウズ8(エイト)』で殆ど毎日愛用し、
補助機として旧機の『ウィンドウズ7(セブン)』を時折使用している。

私は若き頃の30代のなかばに、私の生家の近くの空き地に一軒屋を建てた時、
家内は中学生の頃から茶事を学んでいたので、私は若気の至りで気負って、
家の中の一室を茶室として付け足したりした。
しかしながら程々の年収であったので、住宅に関してのローンは我が家としては重く家計を占めた。
このように状況であったので、私は返済に困苦する中、
専業主婦だった家内は、やむなくデパートの呉服売り場などで契約社員として働き、
新居してからまもなく3年ばかり家計の強力な支援を受けたりした。
そしてスーパー・マーケットさえも、ディスカント風の低価格店から中級店、そして高級店まで、
その時に応じて利用してきた。

定年後の年金生活を始め、私は自主的に平素の買物担当となり、
殆ど毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
そして時折、小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

このような拙(つたな)い年金生活をしているが、
昨夕、家内から『明日(あした)・・4月の家計簿・・締めましょうか?』と私は言われて、
『結構ですね・・やりましょう』
と私は若き自衛官の諸兄に負けないように、明るく大きな声で応(こた)えた。
私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した直後から年金生活をし、
現役サラリーマン時代の緊張感から解放されて、やがて高齢者の身になったので、
ボケてはいけない、と家の中でも明るく大きな声で家内と会話することが多くなっている。
我が家の生計は原則として、厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で日常生活を営んでおり、
冠婚葬祭、思いがけない出来事、そして私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して過ごしている・・。
そして我が家は、日常は買い物したレシートなどを、
家内が一週間に一度ぐらいノートに簡単に集計している程度であり、
月末の前後に私たち夫婦は家計簿の月次決算をしたりしている。

本日の午前中のひととき、家内が支出のそれぞれの区分項目を読み上げて、
私はパソコンの表計算ソフトを利用して、入力したりしている。
そして収入の項目を入れたり、銀行、郵便局などの残高を入力した上で、
5表ばかり我が家の独自の家計管理表を作成している。
そして4月の家計簿の月次決算を終え、
連動した計算で2014〈平成26〉年度の1月度~4月度までの決算も終えてしまったのである。
そして今年も幾たびか国内旅行をしたり、親戚、知人の葬儀などもあり、
もとより赤字となり、私たち夫婦は微苦笑しながら、旅先のこぼれ話をしたりした。

このような家計簿の発想の根源として、私が独身時代に、
自身がその日の心情に応じて、本、レコードなどを買ったり、居酒屋、
ときには恋しい女性との交遊などで散財していたので、
ふしだらな私でも月に一度ぐらいは現状把握と思い、秘かに家計簿をつけたりしていた。
やがて家内と結婚した1976年〈昭和51年〉の春からも、
少なくとも交際費、住居費、衣服費、食費などは増加するので、
私たち夫婦は毎年の年の始めた頃に、思いついた購入する予定の品物、旅行計画などの概要の経費を話し合ったりし、
今日に至っている。
こうしたことで、概算予算の年次計画が出来上がり、そして月次予算も作成し、
月末の前後に実績を入力し、今月も赤字だょねぇ、と30代後半などは、お互いに微苦笑し、
やむなく夏季、冬季のボーナスで何とか赤字を解消したのが実態であった。
年金生活をして5年頃までは、特に耐久商品と称される品の購入には、
私は気弱になり、耐久商品の買い替え時にためらったりしてきた。
我が家の家内は、テレビ、パソコン、デジカメなどに無知なひとりで、
こうした商品は半永久的商品、と確信したように思い続けていることであった。
私が現役時代の時は、程ほどの年収を得ていたので、幾たびか買い換えてきたが、
しかし年金生活となれば、限りある厚生年金、企業年金、個人年金からの収入には、
もとより限度があるので、私は気弱になり、予算を計上するできなかったりした。
こうした中で、私の愛してやまないパソコンが壊れたりすると、どうしてなのょ、
と私はパソコンを眺めて困惑した体験をしたりしてきた。
やむなく定年後の年金生活の10年近くなる今日まで、3度ばかり買い改めたりしてきた。
このように私は、年金生活をしていると、予期せぬ出来事に関しては、
この齢になれば親戚、知人などの葬祭などの出費が多くなり、
悲しみと共に困惑しているのが、昨今の私の正直な心情でもある。
そして我が家の銀行、信託銀行などの貯蓄は、安全利回りが原則で、金利はわずかであり、
年金生活をして10年目となるが、もとより毎年は赤字なので、残額は予定通り減るばかりとなっている。

しかしながら戯(たわむ)れを許されれば、何か我が家は金運上昇かしら、と思ったりしている。
私は市内にある深大寺に、昨年の年の初めに初詣に訪れた時、
境内の土鈴の売り場の美少女に見惚(みと)れて、
ひとつ買い求めたのが、土鈴『大黒天(豊作・財福の神)』であった。
そして帰宅後、我が家の居間の片隅みにあるCDケースの上に安置し、記念写真を撮ったりした。

そして敬愛している書家・詩人の相田みつをの『日めくり ひとりしずか』の前に置き、
私が毎朝向って、氏の綴られた本日の格言を、何かと私の独断と偏見の多い日頃の言動の多い中、
人生の戒(いまし)めとして、心の中で、呟(つぶや)いているが、
この横に安置している土鈴『大黒天(豊作・財福の神)』が微笑んでいるので、
何かしら良いことが招来するのかしら、と思ったりしている。
何よりも年金生活をして以来、確実に増えているのは、
現役サラリーマンの時は苦楽の激しかった時が過ぎ、家内と共に過ごしてきた平穏な生活であり、
こうした中で、デジカメで撮った写真は記憶の数々のかたみであり、
或いはブログの日々の思いの投稿文であり、過ぎ去り日々に愛惜を重ねたりし、
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