私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
昨日の午前中、市内にある都立神代植物公園を訪れた。
この公園内に於いて恒例の『春のバラフェスタ 』が5月17日(土)より開催される前に、
何かと人出の多い中が苦手となっている私は、薔薇(バラ)をゆっくりと鑑賞しょうと、思い立ったのである。
私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、多々の理由により年金生活をしているが、
こうした年金生活の中で、家内との共通趣味のひとつとして国内旅行を幾たびか遊学してきたが、
こうした時に、ときには旅先の薔薇(バラ)園にも立ち寄り、鑑賞したりしてきた、
そして私の地元の都立神代植物公園のバラ園にも、ここ数年鑑賞してきたが、
今回訪れた時、正門の近くの皐(サツキ)の残り花を鑑賞したりした。
この後、隣接しているシャクナゲ (石楠花)園があり、どうしょうかしら、と迷ったりした。
私は幼年期に農家の児として育ったので、畦(あぜ)道の観られる花、草花、
田んぼの中の蓮(ハス)、宅地の片隅の花畑でダリア、ユリなど里花については、少しは解るが、
女性でたとえるならば、高嶺の華(はな)のような存在のシャクナゲ、シャクヤク(芍薬)、バラなどの花には無知である。
やがて私の心の片隅で、69歳になってもシャクナゲ (石楠花)、そしてシャクヤク(芍薬)を鑑賞せず、
おかしいでしょう、今覚えなくていつ覚えるのよ、と心の中で揺れたりした。
私は今まで旅先とか、この園内では素通りのように眺めてきたが、
この際、お見合いのようにシャクナゲ、そしてシャクヤクを鑑賞しようと決意した・・。
シャクナゲ (石楠花)は躑躅(ツツジ)親戚ような花と知っていたが、やはり華麗であった。


、
こうした花を鑑賞すると、気品ある高貴な女性と思えて、小心者の私はたじろいだりした。

この後、近くにあるシャクヤク(芍薬)園に行った。
、、
そしてこの花には、『婉麗(えんれい)』と命名されていたので、
余りにも文学的だなぁ、と思いながらも、この世で若き女性を讃(たた)える最上の言葉だ、と私は微笑んだりした。
古来よりシャクヤク(芍薬)は花の宰相である「花相」と称されたり、
牡丹(ボタン)は「花王」と賞賛されてきたことを思い重ねたりして、
生まれて初めてゆっくりと、お見合いのような形で拝見した。

そして園内を廻り、数10の花を見たりして、高貴なお方たち・・と下男のように見上げたりした。

やがて私は過ぎし年にNHKの連続ドラマの『篤姫』を家内が視聴して、
ときおり私もお付き合いのように観たことが思いだされた・・。
そしてシャクヤク(芍薬)を見たりしていると、何かしら上座に座っているお姫さまから、
『ご苦労であった!』と言われている心情となり、
『恐れ入りました・・』と心の中で呟(つぶや)いたりして、シャクヤク(芍薬)の花々に敗退し、
シャクヤク(芍薬)園から退散してしまったのである。
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何かと人出の多い中が苦手となっている私は、薔薇(バラ)をゆっくりと鑑賞しょうと、思い立ったのである。
私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、多々の理由により年金生活をしているが、
こうした年金生活の中で、家内との共通趣味のひとつとして国内旅行を幾たびか遊学してきたが、
こうした時に、ときには旅先の薔薇(バラ)園にも立ち寄り、鑑賞したりしてきた、
そして私の地元の都立神代植物公園のバラ園にも、ここ数年鑑賞してきたが、
今回訪れた時、正門の近くの皐(サツキ)の残り花を鑑賞したりした。

この後、隣接しているシャクナゲ (石楠花)園があり、どうしょうかしら、と迷ったりした。
私は幼年期に農家の児として育ったので、畦(あぜ)道の観られる花、草花、
田んぼの中の蓮(ハス)、宅地の片隅の花畑でダリア、ユリなど里花については、少しは解るが、
女性でたとえるならば、高嶺の華(はな)のような存在のシャクナゲ、シャクヤク(芍薬)、バラなどの花には無知である。
やがて私の心の片隅で、69歳になってもシャクナゲ (石楠花)、そしてシャクヤク(芍薬)を鑑賞せず、
おかしいでしょう、今覚えなくていつ覚えるのよ、と心の中で揺れたりした。
私は今まで旅先とか、この園内では素通りのように眺めてきたが、
この際、お見合いのようにシャクナゲ、そしてシャクヤクを鑑賞しようと決意した・・。
シャクナゲ (石楠花)は躑躅(ツツジ)親戚ような花と知っていたが、やはり華麗であった。


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こうした花を鑑賞すると、気品ある高貴な女性と思えて、小心者の私はたじろいだりした。

この後、近くにあるシャクヤク(芍薬)園に行った。

そしてこの花には、『婉麗(えんれい)』と命名されていたので、
余りにも文学的だなぁ、と思いながらも、この世で若き女性を讃(たた)える最上の言葉だ、と私は微笑んだりした。
古来よりシャクヤク(芍薬)は花の宰相である「花相」と称されたり、
牡丹(ボタン)は「花王」と賞賛されてきたことを思い重ねたりして、
生まれて初めてゆっくりと、お見合いのような形で拝見した。

そして園内を廻り、数10の花を見たりして、高貴なお方たち・・と下男のように見上げたりした。

やがて私は過ぎし年にNHKの連続ドラマの『篤姫』を家内が視聴して、
ときおり私もお付き合いのように観たことが思いだされた・・。
そしてシャクヤク(芍薬)を見たりしていると、何かしら上座に座っているお姫さまから、
『ご苦労であった!』と言われている心情となり、
『恐れ入りました・・』と心の中で呟(つぶや)いたりして、シャクヤク(芍薬)の花々に敗退し、
シャクヤク(芍薬)園から退散してしまったのである。
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