夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
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【認知症予防】運動や昔の遊びで脳を活性化、78歳の私は学び、微苦笑して・・。

2022-12-07 14:48:51 | 喜寿の頃からの思い

先程、ヤフー・ジャパンより配信されたニュースを見ている中、
『【認知症予防】運動や昔の遊びで脳を活性化・・・
        「できない」と混乱するのも脳への刺激に 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、

このような心情のある私は、
《・・【認知症予防】運動や昔の遊びで脳を活性化・・》って、
どのようなことなのですか、と思いながら、
記事を読んでしまった・・。


この記事は、日本テレビの【 日テレNEWS 】が12月6日に配信され、
無断であるが記事を転載させて頂く。


《・・アルツハイマー病の世界的権威である医師、新井平伊(あらい・へいい)さんが、
去年始めたのは、認知症予防を目的とした「健脳カフェ」という施設。

物忘れが気になり始め、認知症を予防したいという人や
軽度認知障害の人たちの交流の場として、作られた。

新井医師は「認知症になる前、不安が出始めた人の支援がないこと」に着目。
予防するにも、とても大事な時期に、認知症のケアができたら・・・
と「健脳カフェ」をつくった。




健脳カフェで行っているのは、脳が衰えるのを防ぐ、運動やゲーム。
全身を動かすだけでも、脳に刺激を与えることができるという。

手の体操では、左手と右手で違うグー・チョキ・パーの動きに挑戦。
うまく出来なくても「できない」と混乱することが、よい刺激になるそう。 


2年半前、48歳の時に若年性アルツハイマー病と診断された女性。
ある日、一緒に暮らす姉が、異変に気づく。

「自転車を貸したら、どこに乗っていって、どこに置いてきたか、
全然覚えてない。
記憶が切り取ったように、まるまる無くなっていた」

やがて携帯を無くす、会社までの道がわからなくなるなど、
日常生活に支障が出てきたという。

女性は現在、認知機能の改善を目指し、
週に一度カフェを訪れ、健常者と一緒に体操やゲームなどを行っている。

新井医師が、運動以外に重視しているのが、子ども時代によくやっていた遊び。
「回想法」という、昔の記憶を思い出すことで、脳の機能回復を目指すものだ。

また、医師は「料理に何を入れるか、
カレーには何を入れる? 野菜を入れるなら何を?」
などと問いかける。

病気の進行によって、自分の考えがまとまりにくい時期の女性にとって、
家族以外の人と話すことが大切だという。

もし、野菜の名前が出てこなくても、考えること自体が、脳への刺激になるそう。



新井医師のもとには、認知機能が回復したという60歳の男性も。
48歳の時「若年性アルツハイマー病の疑い」と診断された男性は
「自分の家族のことも忘れてしまうとか、その時はショックが大きかった」と話す。

当時、働き盛りの40代で1日4、5時間ほどの睡眠時間はとっていた、
というものの、睡眠時無呼吸症候群だったことが判明。
十分な睡眠とは言えなかった。

男性は、薬での治療に加え、睡眠の質を改善することで、
認知機能が回復したという。

認知症予防のためには、バランスの良い食生活も大事だという、新井医師。

健脳カフェでは、栄養に関する最新研究も紹介している。
食事による腸内環境と認知機能には、密接な関係があると見られていて、
さまざまな研究が進んでいる。

「腸を整える、それが結果的に、認知機能の維持にも繋がる」
とのことで、世界中で注目されている。

ただ、認知症は早期発見が大事で、
普段の家事や仕事で「何だかおかしい」という違和感が、
その前兆となるため、 ちょっとしたことでも見過ごさないで欲しいという。

※詳しくは動画をご覧ください。(2022年12月6日放送「news every.」より)・・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。  



今回、アルツハイマー病の世界的権威である医師、新井平伊さんより、
認知症予防、或いは認知症の治療など多々教示された・・。

そして《・・脳が衰えるのを防ぐ、運動やゲーム。
全身を動かすだけでも、脳に刺激を与えることができるという。

手の体操では、左手と右手で違うグー・チョキ・パーの動きに挑戦。
うまく出来なくても「できない」と混乱することが、よい刺激になるそう・・》、
と学び、微苦笑しながらも、多々教示されたりした。

私は過ぎし8年前の70歳を過ぎた頃から
齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と改めて気付き、
独り微苦笑する時もある・・。

たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、

その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。





しかしながら、私の幼年期のことなどは、何故かしら鮮明に思いだせるのである。

たとえば祖父と父が健在だった頃、
所有していた田畑、雑木林、竹林、田んぼの中で流れていた小川などの情景、
或いは初めて観た映画作品は、小学校に入学する前年の1950年(昭和25年)の夏、
『長崎の鐘』を母に連れられて鑑賞したこと、今でも心の片隅に残っている・・。



ここ数年、無念ながら物忘れが多くなり、溜息を重ねたりしているが、
確か私が小学3年生の頃、 亡き脚本家の菊田一夫(きくた・かずお)さんが
『・・忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ・・』と、
名作の『君の名は』で遺(のこ)された名言に、私は独り微苦笑したりしている。

そして昨今でも、新聞、ネットのニュースなどを読んだり、テレビでニュースを視聴したりすると、
やがて数日後には、忘れてしまうこともあり、つたない私の小さな悩は、
 収容できずオバー・フローになり、忘れてしまうことで、
悩が適度な記憶量に調整を図っている、 と無念ながら思ったりしている・・。

しかしながら時折、家内より『今からボケたら、困るわょ・・』、
と私は叱咤激励をされる時もある。
  

  

このような時の私は、『人生は気合いだ・・』と心の中で呟(つぶや)きながら、
自身を鼓舞したりしている。
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