先程、ときおり愛読している日本気象協会の【tenki.jp】を見ている中で、
『 【動画あり】お月見団子だけじゃない!
地域によって異なる十五夜のお供え物 と題された見出しを見たりした。
動画はこちら
ご当地の十五夜のお供え物
■関東のお供え物
関東のお供え物は、丸いお団子を積み上げた「お月見団子」です。
白いお団子のみのもの、もしくは黄色いお団子が入っている物が主流です。
お団子の中にはあんこが入っています。
■関西のお供え物
関西のお供え物は、関東と同じく「お月見団子」ですが、関東のものとは形が異なります。
お団子の形は、紡錘形や流線形で、お団子の中ではなく、周りにあんこが巻いてあります。
形の由来は諸説ありますが、お月見の時に里芋をお供えする風習から、
里芋の形をお団子で表現しているとしている和菓子屋さんが多いそうです。
■沖縄県のお供え物
沖縄県のお供え物は「フチャギ」です。
楕円形の蒸したお餅の周りに小豆をまぶした、見た目に大きなインパクトがあるお供え物です。
小豆は、砂糖を使わず塩だけで茹でており、小豆の風味を感じられます。
甘く煮た小豆を使って作るフチャギもあるそうですが、昔ながらの作り方は、塩で茹でた小豆を使うようです。
■広島県のお供え物
広島県のお供え物は「団子汁」です。
鶏肉やにんじん、ごぼう、きのこ、里芋などを煮て、白みそで味を付け、そこにお団子を入れた料理です。
団子汁は、広島県では普段からよく食べる料理のですが、麦味噌や合わせ味噌を使って作るのが一般的で、
お月見の時だけ味噌を白みそに変えて作るそうです。
■北海道のお供え物
北海道のお供え物は「とうきび」です。
茹でたとうもろこしを積み上げてお供えしているそうです。
とうもろこしといえば、本州では夏の野菜というイメージがあると思いますが、
北海道では8月~9月に収穫期を迎えるため、十五夜の時に旬を迎える野菜としてお供えをしているようです。
■愛知県
愛知県のお供え物は「里芋の煮っころがし」です。
十五夜の時期に旬を迎える里芋を使ったお供え物で、愛知県だけでなく全国の様々な地域でも、
里芋をお供えする風習があるようです。
この里芋を供えることから、十五夜は別名「芋名月」とも呼ばれています。
皆さんの地域や家庭では、どのようなものをお供えしますか?
今年、2024年の十五夜は9月17日です。
美味しいお供え物と一緒にお月見を楽しみましょう。
動画解説:工藤 佳奈子、安齊 理沙・・》
注)記事の原文に、あえて改行など多くした。
私が地元の小学校に入学したのは、1951年〈昭和26年〉の春である。
この当時の生家は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、
小作人だった方の手をお借りながらも田畑を耕していた。
私は長兄、次兄に続いて生を受けたが、祖父、父は、
2人男の子が続いたので、跡継ぎの男子は万全と思ったので、今度は女の子を期待していたらしく、
三男坊の私としては、幼児心に何となくいじけた可愛らしくない児であった、
と幼年期の頃に思い馳せながら、苦笑をしたりし思い重ねたりした・・。
この当時、この時節の満月を迎える中秋の名月の時は、
母屋の主庭に面した縁側で、月が観える位置に飾りを供(そな)えていた。
三方(さんぽう)と称された檜(ヒノキ)の白木で作った方形の折敷(おしき)に三方に穴が開いた台に、
半紙を敷いて、お米の粉で作った団子を15個ばかり供えられていた。
薄(すすき)が活(い)けられ、その脇には収穫された農作物の里芋(さといも)、
サツマイモ、蓮などが置かれていた。
私は祖父から不憫に感じられたせいか、ときには可愛いがわられて、
祖父の冷酒を呑む横に座って、満月を眺めたりしていた。
今、こうして想いだすのは、農家であったので、
春から育てられた農作物が、何とか夏の日照り、台風などの被害を受けることなく、
無事に秋の収穫を迎えることができ、感謝をささげる意味から、
このように形式がとられたと解釈している。
こうしたささやかな『月見』も数年後、父が病死し、やがて翌年に祖父にも死別され、
大黒柱を失った生家は衰退の一途となり、このような儀式には余裕がなく、消滅した。
定年後の年金生活をし、齢を重ねるたびに圧倒的に深く魅了されるのは、
なぜかしら『十六夜(いざよい)』である。
もとより『いざよい』は、「いざよう」の語源からであり、
ためらい、ためらう、ことなど意味しているが、
『十五夜』よりしばらく遅れて昇ることから『 いざよい』と称されてきた。
私は月を眺め、自分のその時の思いを託〈たく〉したりしているが、
この時節になると、『十三夜(じゅうさんや)』を誉めたり、
その後の中秋の名月と称されている満月の『十五夜(じゅうごや)』を見惚〈みと〉れたり、
やがて、 待ちわびた『十六夜(いざよい)』に圧倒的に魅了されたりしている。
古人の時代から、満月よりやや遅れてためらうように昇って来る、と伝承されてきているが、
私は、映画・文学青年の真似事を敗退して、何とか民間会社に中途入社して、
社会人になった時は25歳であり、
やがて結婚した時は31歳であった為か、人生の軌跡に遅れてきたので、
何かしら共感を深めている。
そして何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
50代の頃から、『十六夜(いざよい)』を眺めたりすると、
ためらうように月が昇る情景を観ると、
この人生のはかなさの中で、余情を感じたりし、圧倒的に魅了されている。