夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

先人に学ぶ『夏・秋の行事』の意味、遅ればせながら私は学び、多々教示させられて・・。

2022-07-18 16:04:38 | 喜寿の頃からの思い
先程、ときおり愛読している【 介護ポストセブン 】の『暮らし』を見ている中で、
『 「暦」は運を引き寄せる大事な日!
      先人に学ぶ夏・秋の行事の意味 
   お盆に食べるおはぎは“魔除け”の意味があった  』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の77歳の身であるが、
過ぎし75歳の頃から、体力の衰えを実感させられて、

齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と独り微苦笑する時もある・・。

こうした中で、何かと無知なことが多く、
今回の《・・先人に学ぶ夏・秋の行事の意味 ・・》って、
遅ればせながら学びたく、こっそりと記事を読んでしまった・・。

この記事は、『女性セブン』の2022年7月21日号に掲載された記事で、
関連の【 介護ポストセブン 】の『暮らし』に於いて、
7月17日に配信され、無断であるが、記事の大半を転載させて頂く。



《・・土用やお盆、お彼岸など、昔から伝わる季節ごとの行事。
なんとなく過ごしていませんか? 

ひとつひとつにきちんとした意味があり、
ここにも運を引き寄せる要素がつまっています。
この機会に改めて行事の意味を知り、運を味方につけましょう。
暦を見直して運気を上げよう!


☆暦は運をつかむ重要なファクター  

開運アドバイザー・崔燎平さんは、
天文学や手相、算命学、四柱推命、骨相など、
運勢に関するさまざまな学問を駆使して人々の相談に応えている。

その中で、「暦は、運勢を上げるために欠かせない要素」と強調する。
暦のルーツは中国の自然哲学の思想『陰陽五行説』から
「暦は、季節の変わり目で、心身に不調が表れることを警告し、
その整え方を教えてくれているからです。

たとえば、中国の自然哲学の思想である『陰陽五行説』に基づき、
奇数が重なる日を『季節の変わり目』と定めた五節句もそう。

上記の七夕、重陽(ちょうよう)の節句のほか、
お正月に七草がゆを食べる人日(じんじつ)の節句(1月7日)、
3月の上巳、別名桃の節句(3月3日)、
端午の節句(5月5日)はおなじみですよね」(崔さん・以下同)

奇数は、めでたい陽の数字だが、
それが重なると、エネルギーが強すぎて不吉とされた。

そのため、五節句には体にいいものを食べ、健康や幸運を願うイベントを行うのだ。



☆土用の期間はいつも以上に気をつけながら過ごす日

「また、立春、立夏、立秋、立冬直前の18〜20日間に定められた『土用』は、
季節の変わり目で、土の気が盛んになるため、
いつも以上に体に気をつけ、旬の食材で栄養を摂りながら過ごす日です。

土用の丑の日にうなぎを食べるのも、理にかなっているのです。
土用は、私のところにも『何だか気持ちが落ち着かない』という相談者が増える時期です。

そして、土用の終わり頃になると、
なぜか芸能人のスキャンダルや突発的な事故が起きやすくなるんです」

この期間、ふだんやらないミスをしたり、
なんとなくだるいというときは「土用のせいだ」と責任を転嫁すれば、
思い悩まなくてすむそうだ。



☆お盆やお彼岸は強運のカギ!

そして、お盆やお彼岸は、
崔さんも強運のカギとして重要視する先祖供養を行う日。

夏休みやシルバーウイークは、家族旅行を優先する人が増え、
なかなかお墓参りにいけない人も多いが、
前述のように、どこでもお参りはできる。

「正しいお参りの作法や仏壇の置き方、線香の数など、形にこだわるのも人間の弱さ。
それよりも、この時期に先祖を思い、心から感謝する気持ちが、
運を引き寄せます」

改めて暦を見直し、運を味方につけよう。



☆夏・秋の歳時記

★七夕の節句 7月7日

1年以内に叶う願いごとを託そう

五節句の1つ。
織姫と彦星が出会う日なので、恋愛運かと思いきや、
「どんなことをお願いしても、いい日です」(崔さん・以下同)。

ただし、短冊に書くのは、翌年の七夕までの1年以内に、
叶えられる具体的な内容であること。

七夕の節句(7月7日)


★夏の土用 7月20日~8月6日

“うなぎ”ばかりが、土用じゃない!

土用は、季節の変わり目に置かれ、土の神様の機嫌が、悪い時期。
足を通して大地のエネルギーを吸収するため、
神様に対しても靴は、きれいにしておくこと。

うなぎだけじゃない夏の土用(7月20日~8月6日)



★お盆 8月13~16日(一部地域では7月13~16日)

開運の基本であるご先祖さまが、この世に戻る日

故郷でお墓参りをする人が集まる時期だが、
崔さんによると、お墓に水をかけるのは、
先祖に対して失礼な行為なのだとか。

お墓は、水拭きをするのがいいそうだ。
旬のきゅうりやなすに割りばしを刺した「精霊馬」(ご先祖さまの送迎車)を飾るのも風物詩だ。

8月といえばお盆(8月13~16日・一部地域では7月13~16日)



★重陽の節句 9月9日

菊の花を浮かべた日本酒を飲みながら、大切な人と将来を語るイベント  

五節句の締めくくりで、健康や長寿を願う日とされる。
「陰陽五行説」で陽のエネルギーが最も強く、災いが起きやすいとも、
幸運が巡るともいわれる。

「お金とも縁が深いので、財布を新調するのにもいい時期です」。

菊酒とともに、1年以内に叶えたい夢を語るのもいいそうだが、
グチや不満は、絶対にNG!

重陽の節句(9月9日)



★お彼岸 

「私たちも極楽浄土へ行けますように」と手を合わせよう

秋分の日を含めた7日間を指し、
「先祖を敬い、亡くなった人をしのぶことで、
私たちも彼岸(極楽浄土)に渡れるようになる」と考えられていた。

お墓参りは、お盆のときと同様だが、
お彼岸には「おはぎ」を食べる風習がある。

古来、赤は、魔除けの効果があり、
"魔を滅する豆"として小豆が使われている。

お彼岸(9月20~26日)


☆教えてくれた人
崔燎平さん/開運アドバイザー
北九州で事業を行う傍ら6万人以上に開運のコツを伝授。
著書に『99%の人生を決める 1%の運の開き方』
『強運をみがく 「暦」の秘密』(いずれも内外出版社)などがある。

取材・文/佐藤有栄 ・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。




今回、開運アドバイザーの崔燎平さんより、
《・・「暦」は運を引き寄せる大事な日!
      先人に学ぶ夏・秋の行事の意味 ・・》、

遅ればせながら私は学び、多々教示させられたりした・・。

こうした中で、『重陽の節句 9月9日』に関しては、
《・・菊の花を浮かべた日本酒を飲みながら、大切な人と将来を語るイベント ・・
健康や長寿を願う日とされる。・・》、まったく無知であったので、
赤面したりした。


過ぎし2018年の7月初旬、私の住む近くの都立の『神代植物園』を訪れた時、
『七夕飾り(たなばた・かざり)』にめぐり逢い、微笑みながら、   記念に撮ったりした・・

          

      

          
私は齢を重ねるたびに、幼年期の頃の出来事を思いだすことが、多くなっている。
こうした時に、幼年時代に七夕の飾り、短冊のことも思いだされる・・。

私は1944年(昭和19年)の秋、東京の郊外で農家の三男坊として生を受けた。

祖父と父が中心となり、小作人だった御方の手を借りながら、

程々に広い田畑を耕していた農家であった。

こうした中で、七夕(たなばた)に関しては、
私が小学生の頃まで、生家の庭の隅に竹に短冊を吊るす慣わしだった。

東京の都心は、もとより全国の各地は『七夕(たなばた)の日』は7月7日が多かったが、
東京の郊外の付近の一部の地域に於いては、一ヶ月遅れの8月7日であった。

              

      
               
現在、私の住む周辺は無念ながら竹林がなく、私が6月中旬、近くの『実篤公園』で撮った一葉。


母屋の宅地に隣接している竹林から、
兄と共に私は、孟宗竹の今年成長した5メートル前後の若竹を一本だけ伐って、
庭の片隅みに兄たちが杭を打ち、安定させていた。

父の末妹の叔母が嫁ぐ前だったので、お正月の小倉百人一首と同様に、
叔母の指導の下で、私は妹のふたりと共に飾りだてをすることが多かった。

こうした毎年過ごしている間、
1952年(昭和28年)の3月、私が小学2年の3学期、父に病死され、
その翌年の1953年(昭和29年)年の5月に祖父が亡くなった。

農家の大黒柱の2人が亡くなり、母と叔母、そして長兄、次兄、私、そして妹の2人が残されたが、
もとより農業の技量、大人の男手を失くしたので、生家は没落しはじめた・・。

          

私は祖父の葬儀が終わった後、学校に行くと、担任の女の先生から、職員室に呼ばれた。 
『XXくん、貴方のお父さん、お祖父(じい)さんも亡くなってしまい、
大変に可哀想と先生は思っていますが・・貴方、男の子でしょう・・
お母さんに心配させるようなことは・・分かっているわよね・・』
と私に言った。

そして
『男の子は、頑張るのよ・・』
と担任の女の先生は、私に握手してくれた。

              

やがて私は、その夏、短冊に秘かに書こうとしたが、少しためらっていた・・。

《 せんせい、あくしゅもいいけど、
              だきしめてほしい・・ 》

叔母や妹ふたりは短冊に何かしら綴っているので、私は本心を書けなく、ためらっていた。
そして私はやむなく、

《 せいせいも げんきで
            ぼくもがんばります 》
と何とか読める汚(きたな)い字で書いた。

短冊を吊るしている時、叔母が、
『どういうことなの・・』
と私に言ったりした。

『何でもない・・何となく・・』
と私は下を向きながら、叔母に答えたりした。

私は小学生の時は、兄ふたりは成績が良い優等生で、
私はいじけた『2』と『3』の多い劣等生で、可愛げもない児であったが、
齢ばかり重ねた77歳の今、それなりに苦(にが)くも懐かしい想い出となっている。


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