夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

熟年離婚を防ぐ最大の方法、まもなく74歳になる私は、遅ればせながら学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2018-08-29 15:29:46 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読しているネットの公式サイト【マネーの達人】の『シニア』を見たりした中で、
『 熟年離婚を防ぐ最大の方法は、「依存しない」、「干渉しない」
              「夫婦だからいい」は最大の危機。』と題された見出しを見てしまった。

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

過ぎし私が2004年(平成16年)の秋に定年退職をしてまもない時、知人のひとりが離婚されて、
私としては仲良し夫婦に見え、長年に於いて寝食を共にされた御夫婦でも、熟年離婚かょ、
と私は動顛させられたりした。

つたない人生功労航路を歩んできた私でも、まさかの出来事が世の中に幾たびも体験してきたので、
私たち夫婦も油断大敵だよなぁ・・と私は思いながら、こっそりと読んでしまった。

この記事は、元銀行員にして50代のベテラン主婦のフリーライターの大岩 楓さんの寄稿文であり、
【マネーの達人】に2018年8月28日にな配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・熟年離婚を防ぐ最大の方法は、「依存しない」、「干渉しない」、「夫婦だからいい」は最大の危機

             

☆熟年離婚を防ぐ最大の方法 「夫婦夫婦だからいい」は最大の危機

配偶者への過度な「心理的依存」

熟年離婚となる原因のひとつに、「配偶者への過度な心理的依存」があります。
「夫婦だから」という甘えから、必要以上に配偶者に干渉したことはないでしょうか?

筆者も、まったく身に覚えがないわけではありません。
しかし、それは精神的に自立していない証拠。
深い反省とともに自らの行いを改める必要があります。

今回は「夫婦それぞれの精神的自立」をテーマとし、高齢の親や身近な先輩方の示唆に富むアドバイスをご紹介。
それをもとに、夫婦がお互いに自立して熟年離婚を防ぎ、シニアになっても夫婦円満を保つ方法についてお話しします。

お互いの交友関係に干渉しない

周囲のベテラン夫婦を見る限り、熟年離婚を防ぐ大前提は、お互いの交友関係に干渉しないことだと実感しています。
夫婦といえども相手に干渉されたくない領域が必ずあり、配偶者はその領域に踏み込むべきではありません。

わが夫婦も最近はそのことを心がけています。
その方が、夫婦仲が円満になりやすいことを、長年の結婚生活により痛感しています。

             

☆配偶者の交友関係に干渉しない方がよい理由


結婚は育った背景が違う者同士が生活をともにします。
配偶者にうんざりすることも数えきれないほど出てきます。
そんなときは、配偶者となんの関わりもない交友関係で、リフレッシュするのが一番。

そうすることで配偶者への怒りやいら立ちも和らぎ、
また優しい気持ちで配偶者と向かい合うことができます。


特に、男性同士、あるいは女性同士での交流は大事です、同性だからこそ理解し合える部分があります。

その関係に夫婦のもう片方が必要以上に、干渉するのはご法度。

それが原因で夫婦仲に亀裂が入る夫婦も少なくありません。
もちろん、不倫や反社会的なカルト宗教など、大きな問題がある交友関係は別ですが、
原則的に配偶者の交友関係に関しては、干渉しないのが吉。


それが、夫婦が長続きするコツであるようです。

             

☆必ずしも共通の趣味を持つ必要はない

熟年世代をターゲットとした雑誌などを読んでいると、
「夫婦円満のためには、共通の趣味を持つと良い」と書かれています。

けれども、筆者自身はその説に懐疑的です。

むしろ、へたに同じ趣味を持ったら、かえって熟年離婚まっしぐらになる場合もあると感じています。

筆者はボランティアで、シニア世代と話をする機会が多いのですが、そこでよく聞くのが
「夫婦の趣味が同じだと、夫婦仲がこじれやすい」という話です。

その原因となるのが、夫婦双方、または片方の配偶者への心理的依存。
特に多いのが、妻にわがままを言い、妻のストレスを増幅させる夫の存在です。

そのような状態で「同じ趣味などごめんだわ!」というシニア妻は、かなり多いのです。

              

☆趣味は「お金の相談」だけすれば良い

同じ趣味を楽しんでいるシニア夫婦の話を聞くと、
双方が精神的に自立し、お互いの趣味に干渉していないようです。


「気が向けば一緒に趣味を楽しみ、そうでない場合は同じ趣味でもそれぞれ自由に楽しむ。その方がうまくいく」

という話をしてくれた知り合いもいました。

彼らいわく、シニアになってから夫婦が同じ趣味を楽しむことは、夫婦円満のカギではないとのこと。

むしろ、趣味が違っていても、お互いに干渉しなければOK。
その方が、年を重ねても円満な夫婦関係を保てるようです。

ただし、家計に響くほどお金がかかりすぎる趣味の場合は別です。
あくまでも家計に響かない範囲で楽しめるよう、
趣味にかけるお金について、夫婦で話し合う必要があるでしょう。

 
☆家の中に夫婦それぞれがひとりになれる空間を作る

熟年離婚を防ぐためにもっとも有効な手段として、
「夫婦それぞれが、ひとりになれる空間を作る」を挙げたいと思います。


高齢になった筆者の親が、今もよく口にしている言葉があります。
「どんなに仲がいい夫婦でも、四六時中顔を合わせていれば飽きる」
「夫婦が1日中一緒にいるようになると息がつまり、夫婦喧嘩になりやすい」

親いわく、退職後夫婦が顔を合わせる時間が長くなると、必ず夫婦げんかが増えるとのこと。

これまでは見えなかったお互いの欠点などが見え、つい文句を言いたくなってしまうからです。
しかし、夫婦の部屋を別々にすれば、お互いの細かい欠点に気づく機会も減ります。

それにより夫婦間のあつれきも起こりにくくなり、
程よい距離感を保ちながら仲良く生活できるそうです。


実はそのような親のアドバイスを受け、筆者自身もそれを実行しています。

わが家では、夫婦が見事に朝型と夜型に分かれているため、
寝室が同室だと、配偶者の生活リズムを乱し、それがけんかのもとになっていました。

そこで、わが家では空き部屋を自分の部屋にし、夫婦それぞれの空間を実現。

そのおかげで、お互いの生活リズムを乱さずにすみ、
なおかつ自分だけの空間で、趣味や仕事に没頭できるようになりました。

             
☆夫婦双方の精神的自立が離婚を防ぐ

夫婦といえども別の人格を持った人間。
お互い精神的に自立していないと、配偶者に思わぬ負担をかけ、それが熟年離婚の原因となります。

シニアになってから穏やかな日々をすごしたいなら、
夫婦が過度に配偶者に依存せず、それぞれの時間を大切にした方がよさそうです。


それが熟年離婚を防ぐひとつの有効な方法ではあることは間違いないでしょう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

             

私がこの広い空の下で家内とめぐり逢えたのは、妹の嫁ぎ先の義父からの紹介であった。

私のすぐ下の妹は1969年(昭和44年)の秋に嫁ぐこととなり、
結婚後は義父母宅に同居することでなっていたので、
私は妹の結婚新生活の準備の荷物を、幾たびか自動車で義父母宅の一室に運び入れたりした。

こうした中、私は義父と何かの時に、文學のことが話題となった。

この義父はある中堅の商事会社の監査役をしていたが、こよなく文學を愛し、
休日の余暇のひとときは10畳の書斎の中で過ごすことが多く、ある地方の文学誌に寄稿されている方であった。

そして私は文学青年の真似事をした時期もあったので、
私は特に森鴎外(もり・おうがい)を敬愛していますが、やはり永井荷風(ながい・かふう)は群を抜いた文士でした、
と私は言ったりすると、
この義父からは、苦笑されながら、何かと私は可愛がれたりしていた。

こうした縁で、この商事会社に勤めていたひとりの女性を紹介してくれたのは、
1975年(昭和50年)の秋であり、私たちは交際をはじめ、この年の12月15日に婚約するために、
両家の結納となった。

                    

その後、私たちは結婚日の日取り、結婚式場、新居の場所、荷物のことなどで、
ボタンの掛け違いのような行き違いが発生して、両家からの意向から、大波、小波に揺れたりした。

そして何とか1976年(昭和51年)3月30日に、学士会館で結婚式、そして披露宴を終えたが、
この間の結婚式で、私は不馴れな羽織(はおり)、袴(はかま)、そして扇子を持ち、
控室から指定された結婚式の式場に向った。

そして花嫁人形のような角隠しで白無垢の容姿となった新妻となる人を見て、
この先の人生、どのような荒波があろうと私は・・と私は改めて思いながら緊張を増したりした。

そして神前結婚式の中で、おはらいなどを受けた後、
誓詞奏上で練習もなく初めて見る誓詞を、今後の人生の責任感で緊張の余り、少し閊(つか)えて大きな声で述べたら、
隣の新妻がクスッと笑っているのが、私は聴こえたりした・・。

             
                
この当時の私は、音楽業界のあるレコード会社に勤め、情報畑でシステム改定をしていたので多忙期であり、
短めな新婚旅行から帰宅し、千葉県の市川市の片隅にある国府台で、
2DKの賃貸マンションで新たな人生をスタートした。

私はサラリーマンの身であったが、もとより生計の責務で孤軍奮闘し、
家内は専業主婦で、私に従順な新妻であった。

その後、子供が出来て狭い賃貸マンションの一室で這(は)うことを想像したり、
或いはいつまでも家賃を支払い続けることを配慮して、新居の件で色々と思案したりした。

やがて結果として、私の生家の近くに空き地があったので、この地に一戸建てとした。

そして家内は中学生の頃から茶事を習い、その後の私たちの新婚生活の合間でも、
先生の元に週一度通って修業していたので、私としては住宅関係で多大な借り入れ金をするので、
ついでにと若さ勢いで、母屋の部屋は一室増やして、茶室とした。

こうした結果、作庭の経費もなくなり、やむなく私の月給分ぐらいで雑木を中核とした。
しかしながら私は孤軍奮戦しても、家計は赤字が多く、私は困苦したりした。

やがて突然に、家内はデパートの和服売り場で契約社員として働き、
我が家は共稼ぎで何とか安泰し、3年後に家内は専業主婦に復帰して、今日に至っている。

                            

この間、私たち夫婦は結婚生活5年が過ぎても、子供に恵まれなかった。
こうした時、私の亡き父の妹である叔母が入院し、私たち夫婦はお見舞いに病室に訪れた・・。

貴方の幼年期に《おたふく風邪》の影響かしら、と教示され、
そして無知な私は恥ずかしくもあり、少し遠方の病院で検査を受けたりした。
やがて診断の結果としては、精液の量は普通ですが、やや精子が少ない、と医師から告げられた。

帰宅後、私は家内に包隠(つつみかく)すことなく伝えたりした。
色々と対策を医師から提示されたことも私たちは話し合ったりしたが、
結果としては自然のままの性愛の結果にゆだねるとした。

このような状況で、私は40歳過ぎた頃になった時、
私たち夫婦は子供のいない家庭に違和感もなく過ごしたりし、今日に至っている。


やがて私が40代の時、会社でヨーロッパ研修の選抜に私は敗退し、
私は自宅の居間で家内に打ち明けたりし、涙を浮かべたりした。

或いは私が40代の時、ギックリ腰が悪化して、
結果として病院の整形外科に入院して、28泊29日間過ごしたりした。

                    

そして50代になると、1998年(平成10年)に音楽業界の売上の主軸となるCDがピークとなり、
この前後は、各レコード会社が社内業務の見直し、組織の大幅な改定、グループ会社内の統廃合、
そして資本による合併などが行われたりした。

これに伴ない、正社員のリストラが行われ、人事配置転換による他部門の異動、出向、
社員を自主退職させる希望退職優遇制度により退職が行われ、リストラ烈風となった。
こうした中で、私の勤めいていた会社も、同じように実施された。         
やがて私も1999年(平成11年)の新春、あえなく出向となった。          

もとより出向身分は、会社に直接に貢献できる訳もなく、まぎれなく戦力外なので、
私は本社に30年近く勤め放り出され、屈辱と無念さが入り混じ、私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、自分の敵は自分だ、と思いながら精務した。

出向先は少し遠方地にある各レコード会社が音楽商品のCD、DVDなどを委託している物流会社で、
この中のひとつの物流センターに異動させられて、
販売店からの日々変動の激しい日毎の受注に応じた出荷作業、
或いは返品を含めた商品の出入り、保管などの業務管理を行っていた。

こうした中でセンター長をはじめとする私を含めて正社員の5名の指示に基づいて、
若手の男性の契約社員、アルバイトの10名、
30代と40代の多い女性のパートの120名前後の職場であった。

やがて出向先も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元のレコード会社でも、幾たびかリストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年(平成16年)の秋に何とか定年退職を迎えることができた。

                    

そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
自身の力量のなさを悟(さと)ったりした・・。

そして何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまったので、
やむなくサラリーマン生活を卒業し、年金生活を始めた・・。

                     


この間、私が出向する時、私たち夫婦は遅ればせながら第二の人生について、話し合ったした。
具体的には、どのような生活をしたいか、幾たびか思案したりした。

やがて年金を受け取り、お互いの趣味を尊重してささやかに生活して、
ときたま国内旅行ができれば・・と漠然としながら私たち夫婦の結論であった。

こうした中で、経済にも疎(うと)い私が、
信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読んだりした。

そして
デフレ経済の蔓延している中、定年時に持家(マンションか戸建て)のローンは返済完了となり、
預貯金が3000万円あれば、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、と学んだりした。


このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートの御方には、遥かに遠い存在である。

                                           

このような私たち夫婦の結婚生活の日常を、くまなく見ていたのは、
居間の片隅に置いてある《ぬいぐるみ》の洗いガエルである。
          
                   
この《洗いガエル》は、私たちが新婚の生活を始める準備をしていた時、
電気洗濯機を買い求めに、最寄りの家電量販店に行き、
たまたま家内があるメーカーの気に入った洗濯機の内部に、
宣伝キャラクター商品として添付されていた《ぬいぐるみ》であった。

この《洗いガエル》は、少し凹(へこ)んだりしているのは、
家内が日中のひととき、昼寝をした時に枕の代わりにして、少し歪(ゆが)んでしまったり、
少し汚れているのは私たち夫婦の40数年を見続けてくれた結果である。

そして少し疲れた為か、へたばりながら、我が家の守り神となっている。

                                              

私の定年退職後、やむなく年金生活を始め、私は自主的に平素の買物担当となり、

毎日のように独りでスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりして、数冊を買い求めたりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
          
定年前の私は、現役時代のサラリーマンの時は、数多くの人たちと同様に多忙であった。

そして家内は専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などの時間で過ごしてきたので、
定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と思い深めたりした。

そして昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。

そして少なくとも家内は専業主婦の延長戦のように料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事をしている。

こうした中で、ときおり小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

             
       

日常の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
       

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

こうした中、ご近所の方の奥様たちから、私たち夫婦の年金生活を見かけると、
仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。

しかしながら実際は日常生活の中で、家内は日頃の多くは、私のことを、
『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。

しかしながら年金生活を始めてまもない頃、私が買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』と家内は笑いながら、私に言ったりした。

この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。

                    

人だれしも長所、短所はあるが、私は短所の方が多いので、
家内の短所には目をつぶり、長所を伸ばそうと心がけてきた・・。

家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、

血液型A型となっている。

そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、ボタンの掛け違いのように差異が発生し、
険悪になることもある。

やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりしている。

このように我が家は家内安全となり、離婚などは無縁である、と私は微苦笑したりしている。

                    

こうした中、ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、家内の妹と交代で、
看病で宿泊することもあり、
私は我が家で独りぼっちの『おひとりさま』の生活になることもある。

こうした時、いつの日にか、まさかの出来事で家内が私を残して、
あの世に旅立つことも考えられるので、特別演習だよねぇ、と私は叱咤激励をして過ごしたりしている。

私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇せず、今日に至っている。

このような私たち夫婦でも、いつの日にか、命果てるまでの残された歳月は、
何か地プラス思考の私でも、自助努力も大切であるが、こうしたことは神様が仏様の采配に寄ると思われ、

この先いつまでも慎(つつ)ましながら、生活ができますように、と念願する時もある・・。

                    

私は、散策したりする時、ときおり心の中で唄ったり、人影の少ない道などで、
♪君と好きな人が 百年続きますように・・
一青窈(ひとと・よう)さんの『ハナミズキ』の歌を、かぼそい声で唄ったりする時もある。

私たち夫婦は、この先いつまでもささやかな生活が続くわけでなく、
いつの日にかは、無念ながらどちらかが片割れになる・・このような思いを重ねたりして、歩く時もある。

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