『鰯の頭も信心から』などとも申しますが、日頃から信仰心が強い訳でもありません。京都・奈良路の一般的な社寺仏閣を見学したからといって、突然信仰心に目覚めるものでもないのですが・・・。旅行に出かける前、妻の友人の旦那さんが亡くなりました。中年のウツ、そして突然の死の選択。専門家は勝手なことを言うものだが、家族は危険と感じつつも死を選択するサインを中々感じ取れるものではない。失われてしまった命に対し、「余りにも突然で・・・」という家族の言葉に素直にうなずき、弔意を表する意外、接する心構えなどあったものではありません。
そして、昨夜、近所の同級生の母親が突然亡くなりました。救急隊員の所作にただならぬ物を感じ、その意味を理解し、言い表せない胸のつかえを感じた一瞬であります。彼女は昨年、風呂場で倒れ、九死に一生を得て蘇生しました。この夏も体調不良から「あの時、何故あの世に逝けなかったのか・・・」などと言い続けておりましたが、「あの世に来るのは、まだ早いと追い返されたのだから、苦しくてももう少し生きないさいということだ」などと、憎まれ口をたたきながら励ましておりました。
何歳まで生きれたからといって、人の死に接し良かったなどと言うことはありませんが、彼女の場合、二人暮らしの息子の手を煩わせることなく死出の旅につけたことが、それはそれで意味のあることかも知れません。こうしてよそ様の死に接する機会が増えて参りました。自分の生が意味あるものでなければ、自分の死も意味を失ってしまう。今日もまた、何事も無かったように生きるのだけれども・・・。
そして、昨夜、近所の同級生の母親が突然亡くなりました。救急隊員の所作にただならぬ物を感じ、その意味を理解し、言い表せない胸のつかえを感じた一瞬であります。彼女は昨年、風呂場で倒れ、九死に一生を得て蘇生しました。この夏も体調不良から「あの時、何故あの世に逝けなかったのか・・・」などと言い続けておりましたが、「あの世に来るのは、まだ早いと追い返されたのだから、苦しくてももう少し生きないさいということだ」などと、憎まれ口をたたきながら励ましておりました。
何歳まで生きれたからといって、人の死に接し良かったなどと言うことはありませんが、彼女の場合、二人暮らしの息子の手を煩わせることなく死出の旅につけたことが、それはそれで意味のあることかも知れません。こうしてよそ様の死に接する機会が増えて参りました。自分の生が意味あるものでなければ、自分の死も意味を失ってしまう。今日もまた、何事も無かったように生きるのだけれども・・・。