昨夜、「渡辺明ブログ」で糸谷君の四段昇段を知りました。
あれは、3年前だったでしょうか、故村山聖九段を偲んで始まった「怪童杯」に有紀さんとくるみさんが参加したとき、そこで初めて糸谷君を知りました。
糸谷君は故村山聖九段の師匠・森六段の弟子で兄弟子の山崎六段や片上四段(当時奨励会三段)と共に会場に姿を見せていました。たしか、あの頃は奨励会の1級だったでしょうか、くるみさんが指導対局を受けたと記憶しています。
そういえば、その直前に山崎六段が谷川九段との対局で敗れ、後ろに倒れたとかで、そのことが一部ネットで批判的に取り上げられていました。余計なお世話でしたが、老婆心で山崎さんにあれこれ進言したことを思い出します。彼も率直にいろいろと語ってくれました。
当時、彼は全くパソコンを使わないと言っていましたが、今でもそうなのでしょうか。早くからネット上に日記を公開してこられた渡辺竜王とは対照的で、面白いですね。
大会の規模も小さく、森六段一門の棋士ばかりでしたから会場はフレンドリーな雰囲気で、自然と糸谷君とも言葉を交わすことになりました。
その頃から、やはり山崎六段の人気は高く、サイン攻めにあっている彼の様子を傍で眺めながら、早くあんなふうにならなければねと振ると、もうサインの練習してるんですよと言って笑わせてくれました。色紙に書く言葉もいろいろ考えているんだとも言っていました。で、それに関しては、棋士は数学得意な人が多いけれど、自分は国語が得意だからなんて冗談とも本気ともつかないようなことを語ってくれたりしました。
屈託【くったく】がなく、物怖じしない、明るい少年でプロ向きだなぁと思ったものです。
大崎善生著の「聖の青春」を読んでいましたから、会場にお見えになっておられた故村山九段のご両親の伸一さん・トミコさんにもお声を掛けさせていただき、親しくいろんなお話を伺うことができました。その後、年賀状のやり取りを続けさせていただいています。
思えば、いろんなところでご縁をいただいています。そのご縁のあった糸谷少年が晴れてプロ棋士になるのですね。また1つ楽しみが増えました。
糸谷新四段のこれからの活躍を願っています。
あれは、3年前だったでしょうか、故村山聖九段を偲んで始まった「怪童杯」に有紀さんとくるみさんが参加したとき、そこで初めて糸谷君を知りました。
糸谷君は故村山聖九段の師匠・森六段の弟子で兄弟子の山崎六段や片上四段(当時奨励会三段)と共に会場に姿を見せていました。たしか、あの頃は奨励会の1級だったでしょうか、くるみさんが指導対局を受けたと記憶しています。
そういえば、その直前に山崎六段が谷川九段との対局で敗れ、後ろに倒れたとかで、そのことが一部ネットで批判的に取り上げられていました。余計なお世話でしたが、老婆心で山崎さんにあれこれ進言したことを思い出します。彼も率直にいろいろと語ってくれました。
当時、彼は全くパソコンを使わないと言っていましたが、今でもそうなのでしょうか。早くからネット上に日記を公開してこられた渡辺竜王とは対照的で、面白いですね。
大会の規模も小さく、森六段一門の棋士ばかりでしたから会場はフレンドリーな雰囲気で、自然と糸谷君とも言葉を交わすことになりました。
その頃から、やはり山崎六段の人気は高く、サイン攻めにあっている彼の様子を傍で眺めながら、早くあんなふうにならなければねと振ると、もうサインの練習してるんですよと言って笑わせてくれました。色紙に書く言葉もいろいろ考えているんだとも言っていました。で、それに関しては、棋士は数学得意な人が多いけれど、自分は国語が得意だからなんて冗談とも本気ともつかないようなことを語ってくれたりしました。
屈託【くったく】がなく、物怖じしない、明るい少年でプロ向きだなぁと思ったものです。
大崎善生著の「聖の青春」を読んでいましたから、会場にお見えになっておられた故村山九段のご両親の伸一さん・トミコさんにもお声を掛けさせていただき、親しくいろんなお話を伺うことができました。その後、年賀状のやり取りを続けさせていただいています。
思えば、いろんなところでご縁をいただいています。そのご縁のあった糸谷少年が晴れてプロ棋士になるのですね。また1つ楽しみが増えました。
糸谷新四段のこれからの活躍を願っています。