8月6日の長崎新聞に、今年6月、長崎市立片淵中学校バレーボール部顧問の教諭(43)が3年生部員へ暴力を振るっていた事件が発覚し報道されました。
昨日開かれた同校の平和集会で峯脇成彬校長は、被害に遭った生徒の実名を挙げ、その問題を紹介「男子生徒が女子生徒や女性教諭を冷やかしたから男性教諭が注意するために行為に及んだ」と説明したときょう付の長崎新聞が伝えています。
市教委は教諭の行為を体罰としていますが、校長は長崎新聞社の取材に「体罰ではない」と述べています。また、集会で生徒の実名を挙げたことについては「学校のみんなが知っていることだから」と釈明したといいます。
男子生徒は当日、欠席していたそうですが、このことを知った保護者は「子供は体罰のショックで部活動を休むなどしているのに、実名を出されたら学校に行けなくなる。名前を出されたと知り泣いていた。説明内容も一部事実と違う」と抗議したといいます。校長は「事実と違うと指摘された内容は調査したい」ととぼけたことを言っています。
記事を読む限り、校長の生徒に対する教育的配慮・愛情が全く感じられません。むしろ厭【いと】わしささえ感じられるほどです。
校長は、このことをずっと根に持っていたのでしょうか。定年を間近にしながら起きてしまった不祥事、栄【は】えある自分の教職歴に傷を付けられたことを恨んでいたのでしょうか。そして、たまたま生徒が欠席した集会でその悔しい思いが堰【せき】を切ってあふれ出たのでしょうか。
校長の心のうちは分かりません。だが、彼にとって不幸だったのは、彼のどんな思いも生徒たちには届いていなかったということです。今度は自ら窮地【きゅうち】に追い込むことになってしまいました。
なんとも悲しい話です。
ただ、話はこれで終わりません。「片淵中」聞き覚えがありました。そこで、当ブログの教育のカテゴリーをさかのぼってみると、ありました。5月21日のブログです。「人は教えられたように教える」というタイトルで「今年1月、長崎市立片淵中の43歳の男性教諭が当時中学3年生の男子生徒の顔をたたき右目にけがをさせたとして、長崎署は18日までに傷害容疑で教諭を書類送検したと5月19日の長崎新聞が伝えています」と書き出していました。どうやら同一人物のようです。なんということでしょう。
昨日開かれた同校の平和集会で峯脇成彬校長は、被害に遭った生徒の実名を挙げ、その問題を紹介「男子生徒が女子生徒や女性教諭を冷やかしたから男性教諭が注意するために行為に及んだ」と説明したときょう付の長崎新聞が伝えています。
市教委は教諭の行為を体罰としていますが、校長は長崎新聞社の取材に「体罰ではない」と述べています。また、集会で生徒の実名を挙げたことについては「学校のみんなが知っていることだから」と釈明したといいます。
男子生徒は当日、欠席していたそうですが、このことを知った保護者は「子供は体罰のショックで部活動を休むなどしているのに、実名を出されたら学校に行けなくなる。名前を出されたと知り泣いていた。説明内容も一部事実と違う」と抗議したといいます。校長は「事実と違うと指摘された内容は調査したい」ととぼけたことを言っています。
記事を読む限り、校長の生徒に対する教育的配慮・愛情が全く感じられません。むしろ厭【いと】わしささえ感じられるほどです。
校長は、このことをずっと根に持っていたのでしょうか。定年を間近にしながら起きてしまった不祥事、栄【は】えある自分の教職歴に傷を付けられたことを恨んでいたのでしょうか。そして、たまたま生徒が欠席した集会でその悔しい思いが堰【せき】を切ってあふれ出たのでしょうか。
校長の心のうちは分かりません。だが、彼にとって不幸だったのは、彼のどんな思いも生徒たちには届いていなかったということです。今度は自ら窮地【きゅうち】に追い込むことになってしまいました。
なんとも悲しい話です。
ただ、話はこれで終わりません。「片淵中」聞き覚えがありました。そこで、当ブログの教育のカテゴリーをさかのぼってみると、ありました。5月21日のブログです。「人は教えられたように教える」というタイトルで「今年1月、長崎市立片淵中の43歳の男性教諭が当時中学3年生の男子生徒の顔をたたき右目にけがをさせたとして、長崎署は18日までに傷害容疑で教諭を書類送検したと5月19日の長崎新聞が伝えています」と書き出していました。どうやら同一人物のようです。なんということでしょう。