峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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大海原へと

2014年10月02日 | 父親と子

先月11日、天使たちのお母さんと昼食をともにした後、福岡市東区馬出の九州大学病院キャンパスへと向かった。この日は、天使たちの敬老会が開かれるのと同時に、くるみさんが受験した九大大学院医学系学府医科学専攻修士課程の合格発表が行われていた。

九大大学院の合格発表は学内の学生掲示板のみで行われる。1日遅れで本人宛通知があるのだが、やはり1日でも早く知りたいものだ。有紀さんの時と同じく、発表を見に行く役割を私が買って出たのだった。

少し歩こうとキャンパスまで少々距離のある所に駐車場を見つけ、陽射しの厳しい中を目的の場所を目指し女房どのと歩き始めた。

女房どのは、このところウォーキングを日課としている。1日1万歩を目標にしているそうだ。ときおり私もお付き合いする。

この日は、午前9時半からの敬老会に間に合わせるべく朝のラッシュを避け早朝午前6時に愛車アルファ159で自宅を発ったのだが、さすがに1時間以上も前に保育園に着いてしまった。時間潰しにと2人して近くを歩いたのだが少し物足らなく感じていた。

もう少し近くに駐車すればよかったかなと多少後悔にも似た思いが浮かび始めた頃、病院キャンパスが見えてきた。

医学部正門から入ってすぐ右手に医系の事務棟があり、その前に複数の掲示板が並んであった。しかし、掲示板の周囲に人影はない。無理もない。募集人員がわずか20名で、すでに時計の針は午後2時を回っているのだ。
掲示板には数多くの掲示物が所狭しと貼り付けてあり、入学者選抜の合格者一覧を見つけ出すのに手間取った。くるみさんの受験番号は、その中にしっかりと記されてあった。

くるみさんは大学入学後間もない頃から、先は人間の脳に関する研究を行いたい旨話していた。4年生になってからは大学院の医学系のHPを片っ端からチェックし、気になる研究室があれば、実際にそこを訪ね先生の話を直に聞き、研究室の雰囲気を確かめていた。思いのほか行動的で新幹線や飛行機を使い、1人で関西や関東までも出かけていたようだ。そうして最終的に絞り込んだ研究室が2つ、九大と阪大だった。

阪大の方は、8月15日にすでに発表があり合格を決めていた。どちらかが第一志望というわけではないのでどちらを選択するか悩んでいて、家族旅行の際にみんなの意見を聞いたりしていたが、九大の発表を待たず気持ちは九大へと次第に傾いていったようだった。いろいろ学問的な理由を並べてはいたが、2人のお姉ちゃんとその家族が福岡にいるというのが九大を選ばせた一番大きい理由ではないかと私は思っている。

九大の合格発表後、間をおかずして九大に進学する意志を固めたこと、そして阪大には入学辞退届を提出したことをラインで知らせてきた。

くるみさんが高校2年生の夏、彼女は九大医学部医学科のオープンキャンパスに参加した。その後、臨床医を目指したが受験に失敗。思うところがあり、自分には臨床医は向いていないことが分かったと心機一転、生命科学の研究者の路へと舵を切った。

「天気晴朗なれども波高し」さまざまな波を乗り越えて人生はある。

来週は有紀さんと2人で沖縄へ旅行するという。どんな旅になるのだろう。土産話が楽しみだ。

コメント
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