峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

父の故郷

2006年03月18日 | 家族
毎日が翼を羽ばたかせ大空の彼方【かなた】へと飛び去っていきます。私は、なす術【すべ】もなく、ただ呆然【ぼうぜん】と立ち尽くすだけです。

15日、確定申告をするために平戸を訪れました。平戸は「峰野」が貞享【じょうきょう】3年・1686年から300年以上住みついてきた土地です。
久し振りに先祖の墓のある川内【かわち】という漁村まで足を伸ばしてみました。

墓の表に祖父の代が住んだ居宅があり、祖父が宮司を務める神社がありました。
父は中学までそこで暮らしていましたが、その後、平戸を出て高校・師範学校と進み、教員になりました。結局、再び平戸で暮らすことはありませんでした。
まだ居宅があった頃、そこを訪れたかすかな記憶があります。今は亡き若き日の父の颯爽【さっそう】とした姿が目に浮かびました。

かつての居宅は、遠い昔に取り壊されています。神社だけは、川内の方々の手により数年前に新たに建立されました。
その経緯が写真の石版に記されてあります。

私の幼い日の記憶からすると、何もかもすっかり変わってしまいました。が、ただ1つだけずっと変わらないものがあります。そこを訪れるたびに父が自慢げに語っていたナギの木です。繊維が縦に太く入っていて、引っ張っても容易に千切【ちぎ】れないのです。いつも葉っぱを手にとり、両指で引っ張っては、そのことを話してくれたものでした。

今では、アジアの英雄・鄭成功【ていせいこう】手植えの木として伝えられています。観光客のために立てられた案内板で知りました。
この日、ちょうど観光に訪れた方々にナギの木のことを訊ねられ、生命力が強いとか、少し知っているこの木のことを得意気にしゃべりました。

墓参りをした後、神社に入り、しばらくの間、正座をして目を閉じていました。
朝、地元の方が参られたのでしょう。線香とローソクに灯がともっていました。

帰り際に、神社のすぐ下に住んでおられる顔見知りのおばあちゃまとお会いすることができました。父や、祖父・祖母を知っておられる方です。
やはり、地元の方が、午前・午後とお参りをして神社を守っておられるとのお話を伺いました。

夏に、家族そろって訪れよう。そう思い川内を後にしました。

写真の石版に記されてある倫子【みちこ】というのは私の母です。
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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ルーツを知る (ぶな太)
2006-03-18 10:14:43
ルーツを知るということがいいことですね。

先祖は神主さんでしたか。峰野倫子というお母様のお名前が石碑に輝いていました。

これは永遠に刻まれていることでしょう。



ナギという木に興味をもちました。高木なのですね。25メートルにもなるとか。子どものときの木の記憶が、後になって鮮明によみがえってくることは、私も経験しています。

これからも絵理子さん、有紀さん、くるみさんによって、峰野家のルーツが語り継がれることを祈っています。
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鄭成功【ていせいこう】 (toriton)
2006-03-18 20:39:01
峰野家と平戸はそんなにも深い繋がりがあったんですね。歴史ある由緒正しい家柄なのですね。



鄭成功【ていせいこう】ですが、先日2月1・2日の両日、NHKで特集番組をしていませんでしたか? 確か、鄭成功【ていせいこう】だったと思うのですが・・・・・



ナギの木にまつわるそんな秘話もあったのですね。 歴史とは・・・・・ 家系とは・・・・

人生とは・・・・・

奥深く・・・面白い・・・・・・・・・・・・
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ルーツ 歴史 (峰野裕二郎)
2006-03-18 22:48:45
ぶな太さん、トリトンさん、有難うございます。

そのナギの木は私も幼い頃から見て触れてきました。これまで、台風や落雷で幾度か瀕死の重傷を負ってきましたが、その度毎に驚異的な回復力を見せ、今は隆々と空高く生い茂っています。

歴史は一朝一夕にできるものではありません。家系についても、地域についても、その歴史・伝統の重さを今こそ見つめなおしてみたいものだと思っています。

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