「母親殺害」高3自首 頭部見せ「殺した」 母の誕生日になぜ…(産経新聞) - goo ニュース
女房どのと私の間には、長女である絵理子さんの下に裕理子【ゆりこ】さんという子供がいます。常識的に申し上げるならば「いました」ということになります。
訪れてくださる方の混乱を招かないように我が家には長女の絵理子さん、次女の有紀さん、三女のくるみさんの3人の娘がいますと記してきましたが、本当は長女の絵理子さん、次女の裕理子さん、三女の有紀さん、四女のくるみさんの4人姉妹なのです。私は、いつも裕理子さんを感じて生きています。
例えば、こんな風にです。
5月に入り、穏やかな天気の続く日がありました。午前中、洗濯物を干そうと庭に出ると、1匹の熊蜂【くまばち】がどこからともなく飛んで来て、私のすぐ近くを私と遊ぼうというように飛ぶのです。
もちろん、裕理子さんがいるのを感じます。写真を撮ろうといったん家に入り、デジカメを手に戻ってくると、再び、スッと寄って来ます。デジカメを構えると写してくれと言わんばかりに空中の一点に止まり、ポーズをとってくれます。こうやってしばらく遊んいると、別の熊蜂がスッと彼女のそばにやってき、2匹はじゃれ合うようにしてもつれ合いながら、やがてどこかへ飛んでいくのです。3日間ほど続きました。
今は、このようにして私たちのそばに裕理子さんが普通にいます。しかし、彼女がこの世を去ってしばらくは、女房どのと2人で泣いて暮らしていました。特に女房どのは10年近く、折に触れ涙を流していました。
人として、子供に先立たれるほどの悲しみはないように思われます。
なのに、こともあろうに、親が子供の手に掛けられるなんて、このような不幸があっていいのでしょうか。
14歳以上の子どもによる実父母の殺害は97~04年までは年3~9件だったのが、05年に17件に急増しているとの報告があります。
なぜ、子供が親を殺すのでしょう。
子供は親によって、あるがままを受け入れられ、親の慈【いつく】しみを受ける中で心安らかに成長していくものでしょう。それが自然の摂理にかなった親子の在り方だと思います。
人には、限りない可能性があります。私は子供と向かい合うとき、彼ら自らが伸びようとするのを邪魔しないよう自身を戒めてきました。それは、人には等しく限りない可能性があることを信じるからです。
人が能力を先天的に宿しているのか、あるいは後天的に身に付けるのか、それはともかく、あらゆる子供たちに思いやりの心の育つ可能性はあるのです。
かわいそうに、彼の可能性は膨らむことがありませんでした。彼の人間性は壊されてしまったのです。
苛烈な競争社会のサバイバルレースの中で多くの父親が傷つき、人間性を喪失させてしまっています。
また、多くの母親は商業主義に踊らされ「教育」を消費し、勉強勉強、「よりよい」幼稚園、「よりよい」中学、「よりよい」高校、「よりよい」大学へと、それが子供を追い込んでいるとの自覚もなしに、むしろ不幸にも、それがかわいい子供の幸福へとつながる道なのだと思い込んでいるのです。そこに悲劇の始まりがあります。多くの母親もまた、人間性を壊されてしまっているのです。
彼の母親は、彼の手に掛かる瞬間、何をどう思ったでしょうか。
私たちは、失った・壊れた人間性を一刻も早く回復させなければなりません。
写真は、あの熊蜂さんです。
女房どのと私の間には、長女である絵理子さんの下に裕理子【ゆりこ】さんという子供がいます。常識的に申し上げるならば「いました」ということになります。
訪れてくださる方の混乱を招かないように我が家には長女の絵理子さん、次女の有紀さん、三女のくるみさんの3人の娘がいますと記してきましたが、本当は長女の絵理子さん、次女の裕理子さん、三女の有紀さん、四女のくるみさんの4人姉妹なのです。私は、いつも裕理子さんを感じて生きています。
例えば、こんな風にです。
5月に入り、穏やかな天気の続く日がありました。午前中、洗濯物を干そうと庭に出ると、1匹の熊蜂【くまばち】がどこからともなく飛んで来て、私のすぐ近くを私と遊ぼうというように飛ぶのです。
もちろん、裕理子さんがいるのを感じます。写真を撮ろうといったん家に入り、デジカメを手に戻ってくると、再び、スッと寄って来ます。デジカメを構えると写してくれと言わんばかりに空中の一点に止まり、ポーズをとってくれます。こうやってしばらく遊んいると、別の熊蜂がスッと彼女のそばにやってき、2匹はじゃれ合うようにしてもつれ合いながら、やがてどこかへ飛んでいくのです。3日間ほど続きました。
今は、このようにして私たちのそばに裕理子さんが普通にいます。しかし、彼女がこの世を去ってしばらくは、女房どのと2人で泣いて暮らしていました。特に女房どのは10年近く、折に触れ涙を流していました。
人として、子供に先立たれるほどの悲しみはないように思われます。
なのに、こともあろうに、親が子供の手に掛けられるなんて、このような不幸があっていいのでしょうか。
14歳以上の子どもによる実父母の殺害は97~04年までは年3~9件だったのが、05年に17件に急増しているとの報告があります。
なぜ、子供が親を殺すのでしょう。
子供は親によって、あるがままを受け入れられ、親の慈【いつく】しみを受ける中で心安らかに成長していくものでしょう。それが自然の摂理にかなった親子の在り方だと思います。
人には、限りない可能性があります。私は子供と向かい合うとき、彼ら自らが伸びようとするのを邪魔しないよう自身を戒めてきました。それは、人には等しく限りない可能性があることを信じるからです。
人が能力を先天的に宿しているのか、あるいは後天的に身に付けるのか、それはともかく、あらゆる子供たちに思いやりの心の育つ可能性はあるのです。
かわいそうに、彼の可能性は膨らむことがありませんでした。彼の人間性は壊されてしまったのです。
苛烈な競争社会のサバイバルレースの中で多くの父親が傷つき、人間性を喪失させてしまっています。
また、多くの母親は商業主義に踊らされ「教育」を消費し、勉強勉強、「よりよい」幼稚園、「よりよい」中学、「よりよい」高校、「よりよい」大学へと、それが子供を追い込んでいるとの自覚もなしに、むしろ不幸にも、それがかわいい子供の幸福へとつながる道なのだと思い込んでいるのです。そこに悲劇の始まりがあります。多くの母親もまた、人間性を壊されてしまっているのです。
彼の母親は、彼の手に掛かる瞬間、何をどう思ったでしょうか。
私たちは、失った・壊れた人間性を一刻も早く回復させなければなりません。
写真は、あの熊蜂さんです。
>苛烈なサバイバルレースの中で多くの親が傷つき、人間性を喪失…
これが高度成長時代からバブル時代までの日本でした。
そして、それは一部でいまだに継続されていますね。
しかしその一方で、この状態を見直そうと始められた
「ゆとり教育」の弊害があちこちに出てきています。
私にはまだ子供がいませんが、育児・教育の難しさというのは容易に想像できますね。
人生の先輩である峰野さんの前でコメントするというのはどうにも恥ずかしいものです。
いやいや、日本だけではないですね、アメリカも壊れています。
自由競争の弊害だと思います。
何でも行き過ぎはよくないんですよね。
昔の人は良く言ったものです。
『過ぎたるは、及ばざるが如し』
もう少し、個性を尊重した緩やかな社会を作ってほしいですね。
現在、世界がアメリカ化しています。
これでは、全て物もが壊れてしまうのではないか?と危惧しています。
私も、父親になった身です。
子供との接し方というのを考えさせられる一日でした。
わざわざ、ご訪問いただき有難うございました。
のぁぴぁさんのテキトーは、ほどよく当てはまる方の適当ですからね。
○さん、こんにちは。
ご丁寧に、お越しいただき有難うございます。
海外に出られる機会の多い○さんだから、日本社会の現状についていろいろ感じられることも多いでしょうね。
子育てとは、自身を育てることに他ならないように思われます。楽しいですよ。