峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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母の日に

2007年05月13日 | 家族
きょうは、月に1度の町内会清掃の日でした。
昨夜、雨が降っていましたが、夜が明けると空はからっと晴れ渡っていました。いつものように午前7時に有線放送でその旨お知らせし、町内会を回りました。
木々の緑が濃さを増し、初夏のさわやかな空気がなんとも気持ちよく、清掃に励むみなさんにかける声も弾みます。

掃除に引き続き、毎年恒例となっている「ゴキブリ団子」作りを、厚生部長さんを中心に行いました。全所帯分作り、各班長さんがそれぞれの班のみなさんに配ります。
この「ゴキブリ団子」ご存知でしょうか。実によく効きます。ピタッとゴキブリの姿を見かけなくなります。ただし、ゴキブリにとって毒というのは、人間にとっても毒ということですので、取り扱いには注意が必要です。

みなさんがゴキブリ団子を作っておられる間、集会所前の空き地の草刈をしました。五月晴れの空の下、刈払い機のエンジン音も快調に、雑草と共に心の中のモヤモヤもきれいに刈り取られていくようで、なんとも爽快【そうかい】です。
もう少しで刈り終わるという頃、ゴキブリ団子作りは完了、それぞれ手分けして持ち帰られました。

集会所前の空き地の草刈が終わる頃、私のやる気のエンジンがかかってきました。朝の掃除のとき、他の空き地で、手で草を抜いている班がありました。鎌で手伝ったのですが、ほどほどで切り上げましょうということで終わっていました。
そこで、集会所前の空き地を済ませた後、その場所の草刈に向かいました。

汗を流して働くと、働いたなぁ~という実感が腹の底から湧いてきます。私の体の中には、間違いなく農耕民族の血が流れています。労働を喜びとする真っ赤な血が流れているのです。

作業が一段落する頃には、時計の針が午後1時に差し掛かかっていました。きょう、女房どのの小学校は運動会です。したがって、お昼ご飯はくるみさんと2人きり、女房どのが用意してくれていた食べきれないほどのご馳走をいただきました。

ところで、きょうは「母の日」でしたね。
82歳になる私の母親は、車で20分ほどの所に一人で暮らしています。「母の日」については毎年、女房どのに任せっぱなしです。
今年も、前もって何かプレゼントの品が用意されていました。この日、女房どのが運動会(その後、慰労会)ということで私が時間を見計らい、その品を持参しようと土曜日に電話を入れました。
ところが、母親は相変わらず忙しくしているのです。日曜日がだめなら月曜はというと、月曜も予定が詰まっているらしく、なんだかごちゃごちゃとそれを話していました。結局、週が明けてから、そのうち電話するからということで受話器を置きました。
私の母親は、いったい、いくつになったら穏やかなおばあちゃんになるのでしょう。

北九州市に住む絵理子さんからは、女房どのにカーネーションが届きました。大村市に住む有紀さんからは、特にありません。学校・寮での友人関係が密で、高校3年生になり勉学にも熱が入ってきたようで、「母の日」まで気が回らないのでしょう。彼女の年齢では、それが自然だと思います。

さて、家に居るくるみさんは、どうだったのでしょう。
後ろで、テレビを見ている2人に訊くと「母の日、おめでとう」とは言ったようです。ただし「朝、言った」「いいや、さっき帰ってきたときに言った」と言い争っています^^

絵理子さんからは、お父さんとお母さんには本当に感謝しているとメールがあったそうです。有紀さん・くるみさんが絵理子さんの心境になるまでには、もう少し時間がかかるのでしょう。
もっとも、こちらは、そんなことなど少しも期待していたりするものではありません。

写真は、絵理子さんから贈られたカーネーションです。
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