一昨昨日、くるみさんのクラスの授業参観に出かけました。
長女の絵理子さんの小学生の頃からですから、授業参観にはずいぶんと通ったものです。
ただ、次第に授業参観に行くのが疎【うと】ましく思えるようになってきました。
それでも、私が子供だった頃、母親が授業参観に来てくれるのは、やはり嬉しく、なんとなく誇らしくもあったことを思うと、自分の気持ちだけで行かないというのは子供に対して気が引けます。
また、逆に、一般的に思春期の子供の心理は微妙なもので、親が授業参観に来るのを拒みたくなる場合もあります。
そこで、今回も事前に、くるみさんに尋ねてみました。
私:「授業参観、行った方がいい?」
くるみさん:「別に、来んでいいよ(来なくていいよ)」
私:「来ん方がいいと(行かない方がいいの)?」
くるみさん:「ほんと、おもしろくなかよ(おもしろくないよ)」
※ 私がいつも、授業が面白なかもんね(面白くないからね)と言っているので気を使っているのです。
私:「行ってもいいとね(行ってもいいんだね)」
くるみさん:「ほんと、来んでいいって(来なくていい)」
私:「じゃあ、行こうかね」
という訳で、出かけた次第です。
校門をくぐると、運動場では各組の昼休みの応援練習が終わる頃でした。玄関でスリッパに履き替え、目指す3階の教室に着くと、ちょうど応援の練習を終え、上がってきた子供たちと一緒になりました。
私が一番乗りでした。しばらくして先生が来られ授業が始まりました。授業は、担任の国語科でしたが、冒頭、通知表の評価はどのようにして付けられるかということを板書されながら丁寧【ていねい】にお話なされ、その評価が進学に大きな影響を与えるから、心するようにというようなことを述べられました。
授業が始まって間もなく、勤務先で暇をもらった女房どのが駆けつけました。
くるみさんは、どんな気持ちで授業に臨んでいたのでしょう。
くるみさんが帰宅してから、親子3人で、この日の授業参観の話をしました。
どんなことを話したのかって? それは、ご想像にお任せしましょう^^
写真は今朝のみぃーちゃんです。次第に若葉の緑が濃くなっています。
長女の絵理子さんの小学生の頃からですから、授業参観にはずいぶんと通ったものです。
ただ、次第に授業参観に行くのが疎【うと】ましく思えるようになってきました。
それでも、私が子供だった頃、母親が授業参観に来てくれるのは、やはり嬉しく、なんとなく誇らしくもあったことを思うと、自分の気持ちだけで行かないというのは子供に対して気が引けます。
また、逆に、一般的に思春期の子供の心理は微妙なもので、親が授業参観に来るのを拒みたくなる場合もあります。
そこで、今回も事前に、くるみさんに尋ねてみました。
私:「授業参観、行った方がいい?」
くるみさん:「別に、来んでいいよ(来なくていいよ)」
私:「来ん方がいいと(行かない方がいいの)?」
くるみさん:「ほんと、おもしろくなかよ(おもしろくないよ)」
※ 私がいつも、授業が面白なかもんね(面白くないからね)と言っているので気を使っているのです。
私:「行ってもいいとね(行ってもいいんだね)」
くるみさん:「ほんと、来んでいいって(来なくていい)」
私:「じゃあ、行こうかね」
という訳で、出かけた次第です。
校門をくぐると、運動場では各組の昼休みの応援練習が終わる頃でした。玄関でスリッパに履き替え、目指す3階の教室に着くと、ちょうど応援の練習を終え、上がってきた子供たちと一緒になりました。
私が一番乗りでした。しばらくして先生が来られ授業が始まりました。授業は、担任の国語科でしたが、冒頭、通知表の評価はどのようにして付けられるかということを板書されながら丁寧【ていねい】にお話なされ、その評価が進学に大きな影響を与えるから、心するようにというようなことを述べられました。
授業が始まって間もなく、勤務先で暇をもらった女房どのが駆けつけました。
くるみさんは、どんな気持ちで授業に臨んでいたのでしょう。
くるみさんが帰宅してから、親子3人で、この日の授業参観の話をしました。
どんなことを話したのかって? それは、ご想像にお任せしましょう^^
写真は今朝のみぃーちゃんです。次第に若葉の緑が濃くなっています。
余り品のない会話は、みぃーちゃんにも聞かせちゃいけませんね。
た。
若葉の中で、ゆったり構える「みぃーちゃん」・・何を思っているのでしょう。
言葉ではない、思いが通じる安心の姿が感じられます。
峰野さんご家族の会話を「みぃーちゃん」だけは聞いていましたね。