峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

生物種としての存在意義

2008年09月03日 | 私塾
金曜日に書いた『大切なものの優先順位』の「着地点」だが、たまたま読み直し「あれっ、なんだったっけ?」すでに忘れかけていた。
こういう時、思い出せないのは何だか気持ちが悪いもの。「う~ん!」とひと唸【うな】りし、なんとか思い出すことができた。

今回の北京オリンピックを通していろいろなことを感じたが、その中でも日本のソフトボールチームの選手たちを見ていて面白いことに気付いたのだった。
ソフトボールチームの選手の顔が、私が子供だった頃のやんちゃな男の子の顔そのものなのだ。それに対し、野球選手の顔のなんとも華奢【きゃしゃ】なこと。

職業柄、思春期の子供たちと長く接してきているが、20年位前のある印象的な出来事を契機に、概【がい】して男の子より女の子のほうに元気があるように感じてきた。

数年前から地域で世話役を務めさせていただいているが、大人も、おおむね女性の活動が活発である。折しも今、集会所では女性学級が開かれているところだ。

テレビは今という時代を映す鏡だと思うが、テレビタレントを見ていると、男性がどんどん女性化し、女性が徐々に男性化しているのがよく分かる。

私たちは生物種として存在する力そのものが弱くなっているのかもしれない。
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