日曜日、午後3時になり、田中先輩と合流して「こころ夢未来高等学校」の開校式典に出席、引き続き行われた開校祝賀会にも、今度は後輩のコーチ・選手3人も合流し一緒に出席した。
祝賀会では岩永学園グループの代表であり、田中先輩の高校での後輩にあたる岩永守弘さんを始め、様々な方と色々なお話をさせていただき、大変有益な時間を過ごすことができた。そんな中、久し振りに懐かしい方にお会いすることが出来た。学習塾、智翔館の総塾長である加納達也さんだ。
私は学習塾稼業を始めて30年以上になるが、これまで学習塾のどんな組織にも入って来なかったし、他の学習塾のみなさんとも全く交流がない。その唯一の例外が加納さんだ。
加納さんと最初にお目にかかったのが約20年前になろうか、大村市の橘香館高等学校の学習塾対象の学校説明会の折だった。説明会が終わった後、橘香館に送り出していた生徒がいたことから教員に応接室に招かれた。ところが狭い応接室は教職員と塾関係者で席が埋まっていた。その時、自ら席を立ち、私に椅子を勧めてくれたのが加納さんだった。
それから数年経ったある時、大学受験を失敗した元塾生から今後についての相談を受けた。親に負担をかけたくないので自宅で浪人したいという。そこで、アルバイトで学費を賄うことを提案し、あの時のことを思い出し、彼のところならば面倒見てくれるだろうと加納さんに頼んだ。彼女は翌年、見事に第1志望校に合格した。
また、5,6年前になるだろうか、依頼を受けてH.O.C株式会社という企業の社員のみなさんの研修のために毎週土曜日の午前中3時間の講義を2,3年続けていたことがあった。しかし、地域で求められる役割が次第に大きくなり、講義も金曜土曜と続くこともあったりして、それなりの準備を必要とする講義を続けるのが困難になっていた。
有難いことにずいぶんと慰留されたが結局、辞退させていただくことにした。その際、後任を頼まれたのだったが、紹介をしたのがやはり加納さんだった。その時も、心やすくお引き受けいただき、きちんと跡を継いでいただいたようだった。
人との出会い、そして繋がりには不思議なものがある。
その加納さんに、まさかこんな所でお会いするとは思いもしませんでしたとお声をかけていただいた。
改めて名刺交換をさせていただいたが、加納さんの名刺からは「こころ夢未来高等学校」の県北地域を請け負っておられるのを始め、多様な学習塾関連のビジネスを展開しておられる様子が伺えた。学習塾業界も少子化で苛烈な競争の時代に入っていると聞く。そんな中で生き残りをかけての戦いに臨んでおられるご苦労を感じた。
一方、私のは佐々町での地域の役割を示すそれだった。
私は、学習塾ではなく、私塾を営んできた。所詮、私塾は1人1塾だと思ってきた。
金儲けは出来なかった。しかし、お金以外のものは、たくさん儲けることが出来た。競争に身を置かないでやってきて良かったとつくづく思う。
加納さんには健康に気を付けて頑張っていただきたいと心から願う。