峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

私の気持ちは そんなに大切だろうか

2005年10月28日 | 暮らし
朝8時半から午後2時半まで、西町公民館で「ふれあい地域デイサービス」を開きました。
町内会のボランティアの方々による手作りの昼食をいただいた後、社会福祉協議会から来ていただいているヘルパーさんお2人のパフォーマンスをご高齢者のみなさんと共に楽しみました。

中で、ヘルパーさんがカラオケで軍歌を2曲かけられました。私は、モニターの画面に映し出される戦時中の様子を複雑な気持ちで眺めていましたが、間もなく、ご高齢者の中に目頭【めがしら】を押さえていらっしゃる方が何人かいらっしゃるのに気が付きました。
曲が流れ終わった後、数人の方が戦地へ赴【おもむ】かれた時のお父上やお兄さまのご様子を口々に語られました。

「もはや戦後ではない」等と言われて久しくなりますが、父や兄や友など、親しい人を戦争に持っていかれた彼らにとって、戦争は決して遠い過去の話ではないのです。

遺骨を収集できず、今も遠く南洋の島で眠るお父上を偲【しの】び「雨ざらし、日ざらしになっとるとやろね」とつぶやかれる老人に、私はおかけする言葉がありませんでした。

同じような思いをされている中国や韓国の人たちがいらっしゃるだろうことは想像に難【かた】くありません。

頑【かたく】なに靖国神社参拝を繰り返す小泉首相は「2度と戦争しないという意味と戦没者に対する哀悼の意を込めて参拝している」と説明しています。小泉さんのお気持ちはよく分かります。
よく分かりますが、それは小泉さんの気持ちです。中国や韓国の人たちの気持ちは別のところにあります。
自分の気持ちばかりを大切にしても周りの人と仲良くやっていけないのは家族間でも、クラスの中でも、町内会の中にあっても、国家間でも同じのように思います。

家族の中にあって、自分の気持ちだけを貫【つらぬ】けば、どうなるでしょう。
「戦争になっても仕方がない」と言わんばかりの小泉首相の頑なさです。
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