峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

あの夏の日のように

2008年07月22日 | 私塾
きょうは24節気の1つ大暑だとかで暑さがもっとも厳しい頃だという。いかにも暑い。
そんな暑さの中、子供たちにとっては待望の夏休みが始まった。「入道雲」「麦わら帽子」「セミ取り」
成績のことや、先のことなど全く心配することなく、真っ黒に日焼けして遊びほうけていられた時代があった。

14歳の女の子が『勉強しろ』と言われて『はい』と言う以外、あまり会話はなかったという父親を殺害した事件に関し、捜査当局もマスコミも評論家も学校も「何故?」と首を傾げるばかり。
当の母親までもが「父親とは大きなけんかもなく、娘が家族に悩みを打ち明けることもなかった。動機に思い当たるところがない」と話しているという。
いったい、私たちの想像力はどうなってしまったのだろう。

ケータイやネットなど高度な情報化社会と子供会、小学生から高校生までの苛烈な受験競争や正規雇用・非正規雇用問題とプリクラやカラオケにお笑い芸人、年金制度に介護保険制度、さらには後期高齢者医療制度と個々人の生死、無差別殺人や振り込めサギからテロの恐怖と好き嫌いの主観や通学・通勤や家族の団欒【だんらん】のような一見、何の関係もないように思われることが複雑に密接に重なり合い、共鳴しあっている今日の私たちの社会。
家庭にあっても社会にあっても、個々人がバラバラに寸断され孤立化していながら、相互に重なり合っていて切り離せない。そんな社会にあって、少年・少女や青年の犯す犯罪が繰り返し起きている。

昨夜、親から勉強しろとやかましく言われることについて塾生たちと話している中、親を殺したいと思ったことがあるか尋ねたところ、明確に「ある」と答えた「普通の子供」がいた。
もちろん、殺したいと思ったことがあるというのと実行することとの間には大きな隔たりがある。しかし、そこを容易に飛び越えさせてしまうような言いようのない息苦しさが私たちの社会にはある。

子供のときにしかできないことを、彼らに思う存分させてやりたい。それは生きている喜び。
心配しなくていいんだよ。
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