この時期、なんでも花粉が大量に飛んでいるらしい。
私は花粉症歴4、5年になるだろうか。特に就寝時の鼻詰まりに悩まされてきた。これまで対症療法で点鼻薬にだけ頼ってきたが、過日、やはりひどい花粉症で悩んでおられた方から皮膚科で出してもらっている飲み薬がいいということを聞いた。
耳鼻科にいけばいいんだろうが、町内に耳鼻科はない。わざわざ町外の病院まで出かけ、さらに長い時間待たされることを思うと、これまでどうにも気が進まなかった。
先日、家族で母のところを訪ねた帰り道、女房どのにこの話をしているところで、ちょうど、その皮膚科の前にさしかかった。女房どのの決断はいつだって速い。今、寄ったらいいと言う。その日は土曜日で、しかも正午前、開いてないだろうと言う私に、最近の病院は土曜日でもやっているところがある。昼休みでも午後の予約ができるかもしれないとたたみかけてくる。
結局、女房どのの言葉に背中を押されるように車を止め、病院の玄関前に立つ。
女房どのの言うとおりだった。いったん帰宅し昼食をとった後、皮膚科を訪れた。
幸い、患者が少なく、すぐ医者に名前を呼ばれた。診療室に入るとすぐにここに来るまでの経緯を話し、その薬を出してほしいと切り出すと、医者はその知人の姓名を尋ねた。もちろん姓は言えるのだが、名が出てこない。医者はパソコンの画面の患者のリストの中からその同姓の下の名前を次々に読み上げていく。「いや、違います」4,5人ほどいったところで知人の名前が出てきた。
「それです。ひとみさんです」。医者は処方箋【しょほうせん】を見「ああ、これは効くもんね」と言い「ただ、眠くなることがあるから、車の運転には気をつけてくださいね」と添えながら、どのくらい出しときましょうと尋ねる。この方も決断が速い。どのくらいって言われても、そんなことこちらで決めたことなんてないしなどと躊躇【ちゅうちょ】する間もなく「とりあえず、2週間出しときましょうね」との言葉に「あっ、有難うございます」とだけ言って診療室を後にした。
こういうの「あり」なんだ?
2・3日前、夜中に鼻詰まりがひどく何度か目が覚めた。数日前、テレビで花粉症対策としてマスクに代わり鼻の穴に装着する商品が開発されたことを紹介していたのを思い出し、その日の夕方、帰宅した女房どのに話しをすると、買って来ようかという。仕事から帰ってきたばかりで、これから食事を作り、入浴し、さらに持ち帰った仕事をしなければならないのにだ。女房どのは常に決断が速い。ついでのときでいいからと言ったにもかかわらず、女房どのは一仕事した後、薬局へと車を走らせた。
間もなくして帰って来た女房どの、薬局を2・3軒訪ねたが、そのような物はまだ店頭には置かれていなかったと言う。その代わりにすすめられたといって購入してきていたのが鼻に塗る薬だった。
その夜、試したのは言うまでもないが、これが実によく効く。
このブログを記す前にも塗ったのだが、その際、人間のすごさを実感したことがこの文章を書くもとになった。
薬を綿棒に付け、それを鼻の穴の中にまんべんなく塗るのだが、鏡を見ずにその動作を行っているのに気付いた。それなのに綿棒の先は正確に鼻の中に収められていくのだ。
ためしに目をつぶってやってみた。同じだ。ついでに目をつぶったまま目や耳、手足の指先など体のあちらこちらを目標にして指で触ってみたが、ぴたりと正確にそれをとらえることができた。
このところ「爆笑問題」の「ニッポンの教養」というテレビ番組をよく見る。毎回、さまざまなな分野から世界の最先端を行く研究者を迎える。多彩な顔ぶれだ。彼らの話を聞き(時には太田さんの話をゲストが聞く)、その成果の一端が紹介される。その際、往々にして彼らが口にする言葉がある。「人間って、すごいですね」という言葉だ。きっと、人間は私たちの想像をはるかに超えてすごいのだろう。
今日の社会のおいて、誰をも何をも信じられないというところからくるどす黒い不安感が、時に私たちを絶望の淵に沈ませようとするが、私は人間の可能性を信じている。
私は花粉症歴4、5年になるだろうか。特に就寝時の鼻詰まりに悩まされてきた。これまで対症療法で点鼻薬にだけ頼ってきたが、過日、やはりひどい花粉症で悩んでおられた方から皮膚科で出してもらっている飲み薬がいいということを聞いた。
耳鼻科にいけばいいんだろうが、町内に耳鼻科はない。わざわざ町外の病院まで出かけ、さらに長い時間待たされることを思うと、これまでどうにも気が進まなかった。
先日、家族で母のところを訪ねた帰り道、女房どのにこの話をしているところで、ちょうど、その皮膚科の前にさしかかった。女房どのの決断はいつだって速い。今、寄ったらいいと言う。その日は土曜日で、しかも正午前、開いてないだろうと言う私に、最近の病院は土曜日でもやっているところがある。昼休みでも午後の予約ができるかもしれないとたたみかけてくる。
結局、女房どのの言葉に背中を押されるように車を止め、病院の玄関前に立つ。
女房どのの言うとおりだった。いったん帰宅し昼食をとった後、皮膚科を訪れた。
幸い、患者が少なく、すぐ医者に名前を呼ばれた。診療室に入るとすぐにここに来るまでの経緯を話し、その薬を出してほしいと切り出すと、医者はその知人の姓名を尋ねた。もちろん姓は言えるのだが、名が出てこない。医者はパソコンの画面の患者のリストの中からその同姓の下の名前を次々に読み上げていく。「いや、違います」4,5人ほどいったところで知人の名前が出てきた。
「それです。ひとみさんです」。医者は処方箋【しょほうせん】を見「ああ、これは効くもんね」と言い「ただ、眠くなることがあるから、車の運転には気をつけてくださいね」と添えながら、どのくらい出しときましょうと尋ねる。この方も決断が速い。どのくらいって言われても、そんなことこちらで決めたことなんてないしなどと躊躇【ちゅうちょ】する間もなく「とりあえず、2週間出しときましょうね」との言葉に「あっ、有難うございます」とだけ言って診療室を後にした。
こういうの「あり」なんだ?
2・3日前、夜中に鼻詰まりがひどく何度か目が覚めた。数日前、テレビで花粉症対策としてマスクに代わり鼻の穴に装着する商品が開発されたことを紹介していたのを思い出し、その日の夕方、帰宅した女房どのに話しをすると、買って来ようかという。仕事から帰ってきたばかりで、これから食事を作り、入浴し、さらに持ち帰った仕事をしなければならないのにだ。女房どのは常に決断が速い。ついでのときでいいからと言ったにもかかわらず、女房どのは一仕事した後、薬局へと車を走らせた。
間もなくして帰って来た女房どの、薬局を2・3軒訪ねたが、そのような物はまだ店頭には置かれていなかったと言う。その代わりにすすめられたといって購入してきていたのが鼻に塗る薬だった。
その夜、試したのは言うまでもないが、これが実によく効く。
このブログを記す前にも塗ったのだが、その際、人間のすごさを実感したことがこの文章を書くもとになった。
薬を綿棒に付け、それを鼻の穴の中にまんべんなく塗るのだが、鏡を見ずにその動作を行っているのに気付いた。それなのに綿棒の先は正確に鼻の中に収められていくのだ。
ためしに目をつぶってやってみた。同じだ。ついでに目をつぶったまま目や耳、手足の指先など体のあちらこちらを目標にして指で触ってみたが、ぴたりと正確にそれをとらえることができた。
このところ「爆笑問題」の「ニッポンの教養」というテレビ番組をよく見る。毎回、さまざまなな分野から世界の最先端を行く研究者を迎える。多彩な顔ぶれだ。彼らの話を聞き(時には太田さんの話をゲストが聞く)、その成果の一端が紹介される。その際、往々にして彼らが口にする言葉がある。「人間って、すごいですね」という言葉だ。きっと、人間は私たちの想像をはるかに超えてすごいのだろう。
今日の社会のおいて、誰をも何をも信じられないというところからくるどす黒い不安感が、時に私たちを絶望の淵に沈ませようとするが、私は人間の可能性を信じている。