峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

PTCAを考える

2007年06月18日 | 学校教育
今年度は、PTAの町内会の中学校の役員を仰せつかっています。中学校PTAの方では生活委員という役割を振り当てられています。今夜7時から、第1回目のその生活委員会が開かれました。議題の主なものは、地区懇談会(PTCA)についてと、夏休み夜間パトロールについての2つでした。

先ず、地区懇談会についてですが、少子化で学校に通う子供のいない町内会が出てきています。子供がいても1人とか2人というところもあります。
ある町内会の委員から昨年、子供が1人のところに親1人、担当民生児童委員3人、担当教員1人が町内会の公民館に集まったが、子供が大変だと思うという意見が出されました。
これについては、他の町内会と一緒にやってくださいということで即修了です。

次に夜間パトロールについてです。
夏休み夜間パトロールは、1町内会から3~4人出て、20時から21時50分まで、町内を車で巡回パトロールするというものです。
これについても、子供の少ない町内会のある委員から、子供の数の多い町内会は順に当番が回ってくるだろうが、自分たちは毎年、出なければならない。何とかしてもらえないだろうかという意見が出されました。

今夜の会の予定時間は19時から21時とありました。しかし、司会者の提案には無反応、困っている町内会の委員以外の方の発言もありません。
司会者の「それでは子供の少ない町内会のパトロールは免除ということでいいですね」という言葉で会議は終了となりそうでした。会議が始まってわずか40分を過ぎた頃です。

みなさんは、どう思われるでしょうか。

ちょっと疲れ気味で、今夜これ以上記す気力が湧いてきません。将棋に例えるならば、ここで封じることにします。さて、私の封じ手は?

玄関横の夏椿の花が咲き出しました。
コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 父の日 | トップ | 私は誰かのために 誰かが私... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
名残 (凸夫)
2007-06-19 04:16:05
いつもいつもお疲れ様です。日々のブログを拝見して思うことなのですが、しっかりと地に根をはり、腰をすえて暮らされているご様子がうかがえることが羨ましい反面、抱えすぎではとの心配(余計なお世話ですが@失礼)もしております。
私の元家の町内会ですが、昭和30~40年代あたりにはそれこそ子供だらけといった感じでした。
町内会長さんや民生委員さんもいましたが、それ以外については阿吽の呼吸とでもいうのか、町内の皆さんがそれぞれにそれぞれの得意分野?や、自然発生的な役回り分担といった感じで、それなりにやっていたように思います。
夜回り、どぶさらい、道路や公園の清掃、果ては子供の遊び相手から街への買物までもを、適度に決められた当番や自らで買って出た立候補によって賄われて、賄っていました。
ところが今の元家の町内では、青年会がそのまま老人会になってしまい、かつては路地ごとに自然に集まっては登校していた子供達もすっかりと少なくなり、大通り?に集合してからの登校となってしまいました。
路地や通りから家の中は丸見え、勿論家の中から外の様子も丸見えだったからこそ、お互いがお互いといったものでした。
今や洒落た家並みに変貌し、プライバシーとやらで個々の尊重とかの意識の高まりと共に、隣は何を…どころか、町内は何を…?といった感じになっているようです。
そのような中から、嫁1人に婿3人的な、船頭多くして船云々のような事態も発生してきているようです。
物事の例えとしては不適切ですが、嫁は子供であり、船頭は高齢者とも言えます。
ちなみに私の元家の民生委員さんは私の同級生の母親で、既に80歳を過ぎておりますが、その方と最近話したのですが、私が転居したため、私の同級生で町内に残っているのはたった一人になってしまったとのことでした。
民生委員さんの息子さん(私の同級生)も都会暮らしとかで、地元へと戻ってくる気配はないとのことでした。
いつもながらのまとまりのないコメントになってしまいましたが、何となく「名残」のようなものを感じずにはいられません。
その名残を惜しみつつも、私自身も今やその名残の中にいるような気がしてなりません。




返信する
空想的理想主義者か能天気  (峰野裕二郎)
2007-06-19 12:38:59
凸夫さん、恐れ入ります。
仰るとおりだと思います。町内会長はじめ、その他、私には不相応な役割ばかりだと分かっています。その上、1人がいくつもの役割を担っているのは、私にとってというより、みなさんにとって好ましいことではないのです。PTAの役員など、私ではない方がはっきりいいのです。
それでも私が、自らの非力を省みずお引き受けしているのは、今を旧いものから新しいものへと移っていく途中の時代だと考えているからです。
顰蹙【ひんしゅく】を買いそうですが、社会には、経済活動とは別に、いや、時にはそれをも優先して、また、個人や家族の利益や都合をも優先して、だれかが担【にな】わなければならない役割というのが存在するように思われます。誰かが果たさなければならないのです。思い込みが激し過ぎるでしょうか。

まぁ、ドンキホーテです。だから、傍【はた】から思っていただくほど、大変でもないのです。

返信する
当たり! (凸夫)
2007-06-19 19:14:12
正に敬服、こちらこそ恐れ入りましたの一語に尽きます。
実は、当初の件名は「時代」とするつもりだったのですが、あえて「名残」とさせていただきました。
峰野さんが仰る通り、経済活動とは別に、様々な形態の活動があり、人は何かしらそれらに参加しているのでしょうね。
会長、委員などはそれらの活動の集合体?のごく一部に過ぎないのかも知れませんし、面の中の点に過ぎないのかも知れませんよね。
但し、その点が他の点よりも若干濃い点か、もしくはほんの少しだけ大きな点なのかも知れませんよね。
濃すぎても、大きすぎても、他の点が萎縮してしまうでしょうし、薄く、小さければ気がついてもらえないでしょうし、他の点と同じであれば迷いの元でしょうし、やはり若干、ほんの少しというのが丁度良いのかとも思うところです。
生意気なことを書かせていただきました。
でも、うん、何かいいなぁって、ふと思っております。


返信する
思いを確かめる (峰野裕二郎)
2007-06-20 00:30:43
凸夫さん、折々、真摯【しんし】なコメントを有難うございます。
凸夫さんのように、ある程度のまとまった文章を記すというのはなまじっかな思いで、できるものではありません。
お気持ち、しっかりと受け止めさせていただいています。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

学校教育」カテゴリの最新記事