土曜日、川原さんの告別式に参列した後、大急ぎで自宅に戻った。この日、有紀さんの退寮の日だった。
女房どのが用意してくれた昼食のうどんをかきこむ。車1台では荷物が収まらないかもと女房どのと車2台で大村に向かった。
大村まで1時間半、この日、春一番が吹き、いつもは鏡のように穏やかな橘湾も白波が立っていた。
寮に着き、すぐに荷物を積み込む。多感な高校生時代の3年間を有紀さんと共に過ごした品々だ。それらを愛車デリカに乗せ、有紀さんは女房どのの車に乗り込み、一路我が家へと走った。
愛車デリカは、子供たちの成長と共にある。家族を何度となく海や山に連れて行ってくれた。平戸島の先の大島にフェリーで渡ったときはフェリーの最終便に乗れず、旅館に泊まることもできず、家族5人デリカの中で一夜を過ごした。
絵理子さんも高校入学とともに寮生活を始めたのだったが、絵理子さんの入寮・退寮のときの荷物運びもデリカだった。大学入学時も佐々から山口市までデリカに荷物を積み込み走った。卒業式にも家族4人でデリカで山口に出かけた。
日曜日の朝、九大受験のため福岡に向かう有紀さんと、付き添う女房どのを、くるみさんと共に佐世保駅まで送った。
有紀さんにとって、先の福岡大受験は予行演習のようなものだったから旅行気分で絵理子さん・研二くん宅に泊まった。下見もせずに1人で地下鉄を乗り継いで受験に臨んだ。
さすがに今回は九大の近くに宿をとりたいと言ってきた。ところが、それが受験の数日前のこと、あわてて絵理子さんに探してもらいようやく押さえることができた。しかし、下見は予定していないという。それほどおおらかな有紀さんではある。受験場の下見はしておいたほうがよかろうという私の意見に、もともと一緒に行きたかったであろう女房どのが付き添うことになったのだった。
女房どのが用意してくれた昼食のうどんをかきこむ。車1台では荷物が収まらないかもと女房どのと車2台で大村に向かった。
大村まで1時間半、この日、春一番が吹き、いつもは鏡のように穏やかな橘湾も白波が立っていた。
寮に着き、すぐに荷物を積み込む。多感な高校生時代の3年間を有紀さんと共に過ごした品々だ。それらを愛車デリカに乗せ、有紀さんは女房どのの車に乗り込み、一路我が家へと走った。
愛車デリカは、子供たちの成長と共にある。家族を何度となく海や山に連れて行ってくれた。平戸島の先の大島にフェリーで渡ったときはフェリーの最終便に乗れず、旅館に泊まることもできず、家族5人デリカの中で一夜を過ごした。
絵理子さんも高校入学とともに寮生活を始めたのだったが、絵理子さんの入寮・退寮のときの荷物運びもデリカだった。大学入学時も佐々から山口市までデリカに荷物を積み込み走った。卒業式にも家族4人でデリカで山口に出かけた。
日曜日の朝、九大受験のため福岡に向かう有紀さんと、付き添う女房どのを、くるみさんと共に佐世保駅まで送った。
有紀さんにとって、先の福岡大受験は予行演習のようなものだったから旅行気分で絵理子さん・研二くん宅に泊まった。下見もせずに1人で地下鉄を乗り継いで受験に臨んだ。
さすがに今回は九大の近くに宿をとりたいと言ってきた。ところが、それが受験の数日前のこと、あわてて絵理子さんに探してもらいようやく押さえることができた。しかし、下見は予定していないという。それほどおおらかな有紀さんではある。受験場の下見はしておいたほうがよかろうという私の意見に、もともと一緒に行きたかったであろう女房どのが付き添うことになったのだった。