峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

思いを形に

2016年04月19日 | 町内会長

早々と熊本県内の被災地の方々の支援に動いている隣家の稲垣君からその話を聞き、町内会としても協力すべく、午後6時から集会所で臨時役員会を開いた。
この地に居を構えた時、隣家の稲垣君は中学生だった。彼の名前は「健」、それで私たちは彼を健ちゃんと呼んでいる。

平成23年度の東日本大震災の際、私たちの町内会では社会福祉協議会を通じて義援金10万円を送らせていただいた。今回は、親しみのあるすぐお隣の県での出来事だ。何か自分に出来ることはないだろうかと思う人が少なくないはずだ。そう思い、即行動に移したのが健ちゃんだった。独自のネットワークを用い、県内外の仲間たちに呼びかけ、あっという間に支援物資を集め、ピンポイントで支援を必要としている方々の元へそれを届けた。

その健ちゃんが再び熊本へ発つというので、彼に私たちの思いも託そうと町内会の役員に寄ってもらい相談したのだった。
話し合いの結果、先ず、町内会で備蓄している非常食のパンの缶詰「救缶鳥」(素晴らしいプロジェクトです。)15缶・簡単に炊き立てのご飯や雑炊が食べられる保存食「マジックライス」18食・飲料水2Lを12本・500mlを24本・カセットボンベ6本、その他ソーメン8袋、紙皿100枚、紙コップ50個、プラコップ16個を提供することにし、各戸からは米5合を目安に出していただこうということになった。

役員会を終え帰宅しようとすると、健ちゃんの運営する格闘ジム・クロフネの前では今夜、熊本へ向けて出発する4tトラックへの救援物資の詰込みがちょうど始まっているところだった。
早速、手伝いに加わったが、健ちゃんの仲間3・4人だけではらちが明かない。そこで、有線放送で応援を頼んだ。既に午後7時半を過ぎていたのでどうかなと思ったが、嬉しいことに10名程度駆けつけていただいた。その中には私たちの町内会ではなく、お隣の芳ノ浦町内会の高校時代の同級生である柳君まで、放送が聞こえたのでとわざわざ軽ダンプで駆けつけてくれた。

結局、4tトラックと軽ワゴン車に全ての物資を積み込んだのは午後9時半頃だった。
一息入れて、深夜に熊本まで一気に走るとのこと、道中気を付けてと若者に後を託し、帰途に就いた。

 

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