間もなく3歳を迎える糸葉さんだが、2歳を過ぎていろんな言葉を発するようになった頃、有紀さんのことを時々「ママ」と呼ぶ時期があった。
私と女房どのは我が家の子供たちに「おとうさん」「おかあさん」と呼んでもらっていたし、絵理子さん家族のところも同様だ。
糸葉さんも、最初「おとうさん」「おかあさん」と呼んでいたので有紀さんにその訳を尋ねると、糸葉さん周りの同年齢の子供たちのほとんどが「ママ」と呼ぶのでそれを真似てつい「ママ」と言ってしまうようであり、最近の絵本の中の子供も、多くが「ママ」らしく、その影響もあるのだろうとのことだった。
そういえば近所の子供たちも、みんな「ママ」と言っているし、テレビの画面の中でも子供たちは大方「ママ」だ。
有紀さんは、お母さんと呼んでもらいたいらしく「ママ」と呼ばれる都度「おかあさんでしょう」と直していたが、その様子も微笑ましいものだった。
その後、糸葉さんは、お母さんの希望通り、間違うことなく「おかあさん」と呼んでいる。
それにしても、今や私たちの国では母親のことを「ママ」と呼び、父親のことを「パパ」と呼ぶのが当たり前になっているとはちょっとした驚きだ。
ところで、孫から私は「おじいちゃん」と呼んでもらい、女房どのは「おばあちゃん」と呼んでもらっているが、どうも世間では「じいじ」「ばあば」が主流のようだ。
私は「おじいちゃん」という響きをとても気に入っている。
おじいちゃん、おばあちゃんのところに行きたがったり、お母さんがいなくなるとさびしくなったり、同じ経験を経ている様子は、何とも微笑ましく、幸せな気分を分けていただいております。
私は子育ての醍醐味をそこに感じていて、子育てが楽しくてなりません。
お姉ちゃんがたどった道を速い遅いはあるけれど、妹や弟が歩いて行く感じはなんとも言えない感動を覚えます。
そして、自分もそのような道を辿ってきたことを思うと、親に感謝し泣けてきます。
絵理子さんの後を追って有紀さんが、くるみさんが歩いてきたように思います。そこに、それぞれの個性を加えながら。
人間一人の歩みは、人類の歴史そのもののようにも思われます。