峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

悲しみは青空のように

2005年10月23日 | 学校教育
午前中、佐々中学校の文化祭に女房どのと出かけました。
合唱コンクールを聴くために体育館に向かうと入り口に受付がありました。机の上に各学年・各クラスの生徒の氏名が書いてあり、来場した保護者が生徒の氏名の右横の空欄に○を付けるようになっています。
鉛筆を取り、印を付けようと名簿を見ていた女房どのが「くーちゃんの名前がないよ」と先を行く私を呼びました。
まさか、と思って名簿を覗き込みましたが「峰野くるみ」の文字はありませんでした。それではと他のクラスの転校生の名前も確認しましたが、やはりありませんでした。

何ということでしょう。驚くほどの無神経ぶりです。もう、話にもなりません。
先日、くるみさんの担任に、指摘するのもこちらが恥ずかしいようなことを、お話させていただきましたが、昨日の今日です。萎【な】えてしまいそうです。

そんなことは別に、くるみさんは元気です。クラスの合唱コンクール実行委員として、きょうまで精一杯取り組んできたからでしょう。帰宅してからクラスが金賞を獲れなかったことを盛んに悔しがっていました。
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2 コメント

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たかが○・・・されど○ (千間丸)
2005-10-24 08:11:37
名簿を修正するなんて、今の時代PCなら簡単だと思うんですが・・・手書きなのでしょうか?

いいえ、きっと担任の気持ちが無いだけなのでしょうね。

奥様の「・・・ない」寂しそうな声に聞こえて来ます
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なぜ、長崎県なのか (峰野裕二郎)
2005-10-25 01:16:32
この中学校の教員のみなさんは、普通の人間が持ち得る、ごく普通の神経がおありにならないようです。

「一事が万事【ばんじ】」と言います。



傷ついている子供たちの低くうめく声が聞こえてくるようです。



よりによって、どうしてこのような方々が「先生」におなりになるのでしょうか。



このような「先生」方に、名前が書き加えられない子供や親の心の内をお分かりいただこうと思っても無理だということを知りました。



今、ようやく、子供たちの虚しさ、絶望を理解できたように思います。
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