夕暮れが早くなった。買い物に出て戻ると、部屋の中が暗い。だんだん寂しい季節に向う。今日はお墓参りに行かれた人が多そうだ。スーパーのお彼岸のお花も売れている。我が家は、お花が安くなるお彼岸過ぎに飾ることにしている。お墓参りもいけない。私はどちらかというと家で拝む派だ。毎日、毎日お参りをすることが大事と思っている。古矢家のお墓は葛飾区の中川べりにある。祖父母が大震災で焼け出され、田舎(茨城)へ歩いて帰るときに、休ませてもらったお寺だという。その後、文京区に移り住んだので、お墓としては当時、遠かった。息子を亡くした祖母は、私を連れてよくお墓参りに行った。帰りに日暮里の駅であんみつを食べられるので一緒行ったようなものだが、仏様への毎日のお供えやお墓参りは気がつかないうちに身に付いたようだ。
夕暮れの空に月が出ている。24日が今年の中秋の名月らしい。子供のころは、やはり祖母がお団子とすすきを縁側に供えたものだ。そういう、習慣が私の中に残されているのはうれしい。部屋から月が見えるだろうか。
ボランティアのNPOの悩みに「年寄りのお世話役、生涯のボランティアとしてご覚悟いただきます。」とある方がメールくださった。私も十分にお年寄りなのですが・・・・。樹木希林さんの死から、さまざまなことを考えた。最期まで、自分の生きざまに責任を持って生きられればと思うが・・・。
古矢家の墓には入らないと言う、母の遺言。まだ、弟もベトナムから帰国せず、お墓も決まらない。私は自分は散骨と考えていたが、あまり一緒にいられなかった母と樹木葬の墓地にでも一緒に入ろうか とも思う。
「秋は夕暮れ」。月を眺めながら、しみじみとそれを味わうのもいいかもしれない。まぁ、最期は信頼のおける人がきちんとしてくれるだろう。それよりも食欲の秋。明日は栗蒸し羊羹でもつくろうか。