4日間の地方巡業から戻ると忙しい。洗濯日和の今日、まず洗濯から。一人にしては半端ない量。巡業先のレポートの配信をしなくてはならない。そのための写真の整理。午後からはお茶にいかなくてはならない。荷物が重かったのか腰が痛む。精神的には元気印だが、身体が追いつかない。そこへ今日の朝ドラがいけない。また、北川悦吏子さんにやられた。
そんな雑念をお茶は無にしてくれる。お茶室で聞く虫の声はより風情がある。お花はノコンギク。色紙は「行雲流水」。なんともいまの私にはありがたい言葉だ。風の気持ちのいい帰り道、引きずった人のことを思いだした。
若い日のこと、なにかあってもおかしくなかった。新宿で飲んで、百人町のラブホテル街をふらふらと歩いた。でも、入ることはなかった。落ち込んだときに共通の知人家に泊まりこんだが、同じ布団で寝てもそれだけだった。キャンプでバンガローで隣で寝ていても、初めに手をつないで寝たくらいだった。飲んで甘えて腕は組んだが、それで「さよなら」と別れた。もし、二人にそれ以上のことがあったら、別れたか結婚したかだったろう。だから私は30年近く引きずった。この年になって、彼の想いが理解できる気がする。
生活に(日常に)ならない愛はどんどん深くなる。心の中から彼は自然に消えた。極論を言えば、結婚はだれとでもできるが、慈しみを持った深い愛はめったにない。「ふれもせで」は久世さんがが向田邦子との関係を書いた本の題名だ。
「ふれもせで」あなたは私の心を持っていった。