今日は晴れ!やらなくてはいけないことが終わったら、気になっていた植木の手入れができる。朝、ネッとのニュースで「恋に落ちた司祭」とい記事があった。イタリアの小さな村の出来事だった。カトリックでは、司祭は結婚できない。(プロテスタントはできる)ミサが始まるという時に、信徒に告白したという。自分は還俗するという。(還俗(げんぞく)は聖職者としての地位を捨て、完全に(または実質的に)俗人に戻ること。)特にペナルティはなく、ミサが行うことができないということらしい。神父様の恋に落ちる一歩前くらいまでは知っていたが、この神父様は42歳・・・。曰く「これを押さえつけたり、追い払ったりすることなく、この恋に生きようと思う」と言っている。
人は過ちを犯すことから始まった。アダムとイヴのお話だ。蛇にそそのかされて、イブが木の実を食べてしまい、アダムもイブに勧められて食べてしまう。二人は楽園から追放されてしまう。裸でいることに気が付いてイチジクの葉を身に付けた二人に、神は皮の服をプレゼントしたとか。
このごろは、1回の過ちにも「許せない!」という人が多いようだ。法的な罪は別として、道徳的な罪もある。でも、その道徳も時代で変わっていく。さらに、宗教的な罪はまた違う。ひとはいろいろな顔を持っているし、今日は黒でも明日が白になることもある。罪に陥れるまでは行かなくても、一つの視点で見て「許せない」と裁判官のようにふるまう人が多いように思う。
神はこの司祭を許されたのか?もちろん、お許しになられます。こんなことを思うのは、私が過ちの多い人間だからだろう。
長浜の町は小中学校がお祭りでお休み。なんと寛容なことか(笑い)
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