TVの映像で能登半島の大雨の状況を見ると、地震で崩壊したと思われる家屋と泥水があふれています。これはどこが地震の被害なのだろうか?水害の被害なのだろうか?1月1日の地震だったことで、どれだけ時間が過ぎたかがよくわかります。それなのにまた・・・。豪雨は自然災害とはいえ、9か月間でなんとか少しでも安全を確保できなかったのか、と思うのです。高齢者施設が床上浸水などと聞くと、どんなにか不安でつらいことだろうと思うのです。また、道路も寸断され、物資が届かなくなるとしたら、最低限の生活さえ保障されなくなります。先日、防災士の資格を取って現地に入った教え子は、あきらかに行政の怠慢だと言っていました。
もし、震度6くらいの地震が来ればこの長屋はまず崩れ落ちる気がします。2階にいて助かるか??です。そんな自然災害だけでなく、夜中に目が覚めると、先行きの不安が襲ってきます。元気でポッコリいければいいのですが、そうは上手くいかないでしょう。長野に住む親友は、息子のいる知らない土地の老人ホームに入るなら、長年住んだこの地のこの家で野垂れ死んだほうがいい、と言います。神奈川に住むお友達は民生委員をしていますが、入れる特老はまずない、と言います。悲しい言葉はですが、「野垂れ死」なのです。身体さえ丈夫であればという神話も崩れつつあります。
世界の中心にいる日本でなくてもいいから、最低限の生活でも安心して暮らせるようにしてほしいですね。子供たちもそうです。先の見えない不安が子供たちにもあるのです。教育方針なる指針は夢のようなことが描かれています。一人1台のタブレットは手にしたけれど、ぼろぼろ上敷きの床の上で子供たちは不揃いの机で足を崩しながら紙ベースというおかしな勉強をしています。もっと自由であってほしい・・・。
久しぶりに出汁のきいた温かいお味噌汁がおいしく思いました。お茶もコーヒーも。ささやかな暮らしの中もいつまで続けられるのか、という不安はないとは言えません。
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