昨夜、久しぶりに羽生結弦選手を見た。今までのイメージとは違う衣装で、新しい羽生結弦を演じていた。このコロナウイルス禍で少しでも皆さんに明るい気持ちを届けられれば という演技だ という。ご本人はまだ未完成です というが、やはり羽生結弦!と思った。
そんな翌朝、今日も疲れが出たのか起きられない。29日ごろから雪になるというので、何とか起きだして買い物だけには出かけた。パソコンに向かわなくては、冊子の編集をしなくては、と思っても、体が動かない。やっと5時になってパソコンに向かった。イグナチオ教会の12/24の夜半のごミサの神父様のお話を読んだ。
ご存じのように、イエスさまは「馬小屋」で生まれました。ちょうどその時期に住民登録のために人々がベツレヘムに移動していて、宿屋がなかったからだと言います。神父様の仮説が面白いのですが、もし、宿に泊まれてそこでイエス様がお生まれになっていたら ということです。それこそ多くの人に祝福され、お祝いものもたくさん届き、そこに泊まっていた人々によってイスラエル中に広まってしまった ということです。そう考えると、本当に大事なことはそのように密やかな形で、いわば多くの人に知られない中でひっそりと生まれる、あるいは誕生するものではないかというふうにも思えると いうのです。
このコロナウイルス禍で様々なことが、不便な中で行われるようになった。会いたい人にも会えず、行きたい学校にも行けない・・・。でも、なにかこの居場所のないような理不尽な環境の中だから、より本当のものに触れることができたのではないか・・・。
今日はこれから仕事です。改めに、みなさんに「福音」(良い知らせ」を届けるために。
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