午後から図書館へ出かけた。入り口にサンシュユの花が咲いていた。ああ、春が出迎えてくれた!周りの山々にも雪がなくなった。風はやや冷たいが、陽ざしと水の流れは春を感じさせる。
毎朝、神さまと仏さま(仏壇)と母にお祈りをしている。神様には「どうか、コロナウイルスから人々をお守りください」などで、母と仏さまには「弟や大事な人の健康、安全、無事」を祈っている。(マリヤ様にも祈っているので結構大変)でも、今週から、神さま(イエス様)には、もっと自分の心を語るようになった。「昨日はこんなことがあって、自分はこんな風に思いました。でも、それは神の道に外れていると思いました」などと。正直に自分の心を語り、罪を認め、またうれしいことには感謝した。それが私のこころを明るくした。
神でも仏でも人でも、「信じる」ということは、対象の全部がわかっているから信じるのではなく、そのわからない部分も含めて、私は「信じます」になるのだという。「俺の言うことを信じてくれ」は、全部はわからないだろうが、ともかく俺を信じてくれ、になるのだろう。そんなに難しいことではないのだろうが、ほっとする言葉だった。
今、キリスト教では、イスラム教のラマダンのような時期。イースターの前日まで、断食になるが、今はそんなに厳しくいことはない。それをこの時期は、1日に一つだけでも人に「親切」を行いなさい というようなことを言われる司祭さんもいらっしゃる。
自分を楽にさせながら、自分を見つめていくことがいいのかな?と思う。そうやっていければ、気持ちはいつも楽なような気がする。信じることも楽になる。
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