金曜日から平塚は七夕祭りです。「笹の葉 サラサラ」ではなくてプラスチックの短冊がカサカサいっています。そんな中の日曜日の教会のミサはなにかアンバランスでした。久しぶりにミサに行けました。十字架に架けられたキリスト像をみて、とても心が痛みました。いや、身体が痛む感じです。多くの罪を犯した者として(法律上ではありませんよ)、最後に行き着くことは「許し」と「感謝」でした。心が「感謝」に満ちて、そのあたたかさが「許し」へと導いてくれました。すべていつもそう思えるわけではないのですが、最後には相手を受け入れることができるようになりました。でも、そうなると人生はつまらなくなるのです。(不謹慎ですが)あの何かに取りつかれるように、人を責めたり、人を愛したりしたのは何が原因だったのでしょうか。このぶろぐの名前の「ぬくもり」が不足だったのかもしれませんね。多くの「ぬくもり」に感謝です。
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