今、ルビーの指輪のサイズ直しをしています。寺尾聡が歌った「ルビーの指輪」を思い出します。胸が痛む歌です。若いということは残酷なことでした。私の誕生石は12月なのでトルコ石。だから、「ルビーの指輪」の歌詞のような話ではありません。ルビーの指輪は放蕩娘の指輪なのです。聖書にある有名な話、「放蕩息子のたとえ」と同じようなものです。母が5月の連休に遊びに来ました。長い親子の葛藤がありました。放蕩娘は何度も何度も母を裏切ったのです。そんな何十年もの確執を乗り越えて母は出かけてきました。会うとすぐに母は指輪をはずし、「これ、マッちゃんにあげる」と言いました。突然のことで、戸惑いました。でも、きっと嬉しいのだろうと、その場で受け取りました。3日間の滞在で、母がだいぶ記憶が怪しくなり、体力もなくなっているのに気がつきました。想像以上に認知症は進んでいました。母の気持ちを大切にできるだけ一緒に過ごすようにしています。恐る恐る聞きました。「私にルビーの指輪くれたの覚えている?」母は大きくうなずきました。「いまね、サイズ直しているんだ」母はとても喜んでくれました。
台風が各地に被害の爪痕を残して去っていった。局地的な被害は予想することが難しそうだが、長野県の南木曽町は私が何回か訪れずれた時に川の氾濫や土砂崩れをみている。飲料水を湧水で使えるところだけに裏の山から崩れてくることは考えられる。同じような間違いを繰り返すことは人生ではよくある。同じようなということだけでなく、時々人は(私は)間違うために生まれてきたのではないかと思う。母が認知症になった。書道を習い、炊事もまめにしていただけにまさかの出来事で、受けいれるのが苦しかった。「親不孝」という言葉が頭から離れないし、自分の生活設計の無さが情けなくて仕方なかった。台風の夜、「祈り」の本を読んでいた。この間違いをどうしたものかと。青空の広がる翌朝、私は思った。「今から始めればいいのだ」と。消せることの出来ない過去を見るよりは、「今からやり直せば遅くない」と。最期の1時間前でも人の心はやり直すことができると。あなたもそう思ってね。
朝のNHKの連ドラ、「花子とアン」。いままでの朝ドラよりも結構熱心に見ている。理由はなんとなくわかっていたが、それを認めるのが怖かった。髪を染めに美容院に行ったら、女性週刊誌に「花子とアン」の話が出ていた。タイトルは「愛情をエネルギーに変えた女性」とあった。愛情をモチベーションに何かをしていく人生だ。その生き方をみてほっとしていたのかもしれない。歩んできた人生、形あるものはなにもない。自分のしたこととはいえあまりにも無残で悲しいと思った。「人を愛しただけだった」のだと。でも、自分を押し高めたエネルギーを否定することはできずにいた。はなを支えた英語の辞書のようなものがあった。その集大成を今しているような気がする。「なぜ、そんなに頑張れるの?」という質問にやっとこぴっと答えられるかな。「愛情よ!」と。
金曜日から平塚は七夕祭りです。「笹の葉 サラサラ」ではなくてプラスチックの短冊がカサカサいっています。そんな中の日曜日の教会のミサはなにかアンバランスでした。久しぶりにミサに行けました。十字架に架けられたキリスト像をみて、とても心が痛みました。いや、身体が痛む感じです。多くの罪を犯した者として(法律上ではありませんよ)、最後に行き着くことは「許し」と「感謝」でした。心が「感謝」に満ちて、そのあたたかさが「許し」へと導いてくれました。すべていつもそう思えるわけではないのですが、最後には相手を受け入れることができるようになりました。でも、そうなると人生はつまらなくなるのです。(不謹慎ですが)あの何かに取りつかれるように、人を責めたり、人を愛したりしたのは何が原因だったのでしょうか。このぶろぐの名前の「ぬくもり」が不足だったのかもしれませんね。多くの「ぬくもり」に感謝です。
ふと、向田邦子を思い出した。30代、40代は彼女の作品が大好きだった。「幸福」「冬の運動会」などはTVドラマのイメージが強い。久世の演出もあるのだろう。そんな向田の作品がきつくなったのは、いつごろからだろうか。ばっさりと人を殺してしまう。彼女自身が愛する人を突然失ったためだからだろうか。そして、彼女も突然世を去ってしまった。ある人が言った。「若いころは見える時系列が短く、このまま人生が続くように感じていましたが、年齢を重ねまた、色々な別れを経験して見える時間が長くなったように思います。だからこそ今を生きることが大切なのですが」
なにかを失った喪失感にだんだん耐えられなくなったからだろうか。向田の年で事故で死ぬのがいいのかもしれない。そう、今なのですね。
なにかを失った喪失感にだんだん耐えられなくなったからだろうか。向田の年で事故で死ぬのがいいのかもしれない。そう、今なのですね。