■メゾン・ド・ヒミコ
■出演: オダギリジョー, 柴咲コウ, 田中泯, 西島秀俊
■監督: 犬童一心
■ストーリ
わけあって借金を抱え、昼はしがない会社の事務員、夜は
コンビニのバイトをして働く24歳の沙織(柴崎コウ)を
ある雨の日、若くて美しい男(オダギリジョー)が訪ねてくる。
青年の名はは岸本春彦。春彦は、自分が沙織の父(田中泯)の
恋人であること、父親が癌で余命幾ばくもないことを伝え
父の経営するゲイのための老人ホームを手伝わないかと誘う。
父を憎み、その存在さえも否定してきた沙織だが、破格の日給と
遺産をちらつかされ、老人ホームの手伝いに行くことを決意する。
老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」には、個性的な住人ばかりが
暮らしていた。
■感想 ☆☆☆☆*
優しい優しい物語。
見終わった後に人が求めるものについて考えさせられる。
年頃の男女がお互いに愛し合い、求め合い、結婚する。
そういった過程の根底にあるものは結局のところ「寂しさ」で
「寂しさ」や「支え」を私たちはつい愛情だと思ってしまうのでは
ないのかと思うときがある。
それは年頃であればあるほど。そして、異性であればなおさら。
年頃の異性が傍にいて、安らぎを感じてしまうと、無条件で
その人を「愛する人」だと思ってしまう。勘違いと思い込みで
成り立っている危うい関係。だから、人は出会ったり別れたりを
繰り返す。
けれども人はそれほど単純なものではないのだと思うのだ。
「愛する」ことにも様々な形があって、異性として愛する形もあれば
家族として愛する形もあって、更に言うならば「人として」好き
という形もある。
けれども年頃の異性に対して、「人として好き」ということに
対する胡散臭さが今の世の中には蔓延していて、人と人との
精神的な交わりあいや支えあいを「奇麗事」だと言い切ってしまう
風潮がある。確かに「男女間の友情」という言葉はウソクサイ。
まるでありえないように感じることのほうが多い。
けれども、こういう風潮が蔓延している世の中だからこそ
「男女の愛情」ではなく「人と人との愛情」が構築されている
世界を私たちは羨ましく、そして微笑ましく見てしまうのだと思う。
そして、そういった愛の形が「ウソクサイ」などと言われることなく
純粋に認められるのが「ゲイ」の世界なのだと思う。
小さい頃からずっと愛情を求めてきて、でも愛情不足の中で
育ってきたヒロイン沙織と、彼女をあたたかく迎え入れる何人もの
ゲイの老人たち。彼らはみな一様に優しく、ぶっきらぼうで無表情で
常に毒づいている沙織を笑顔で迎え入れる。時にずけずけと
沙織を注意しながらも母親のように彼女を見守る。
次第に、沙織も徐々に心を開き、天真爛漫な笑顔を見せ始める。
その中で唯一、同じ世代の異性、春彦を意識し始める沙織。
彼らの間に存在する恋人以上、家族以上の感情は中盤で彼女たちを
混乱させ、そして、なくてはならないラストにつながっていく。
見終わった後、深い余韻に包まれる。いろんな場面にじっくりと
思いを馳せる。特に田中泯の発した「あなたが好きよ。」という
言葉の深さにしみじみとさせられた。
そして、何と言っても好きなのが、みんなで一体感を感じながら
踊り続けるクラブのシーン。
役柄など超えて楽しそうに踊っているキャストたちがとても印象的だった。
オダギリジョーのかっこよさは筆舌に尽くしがたいものがある。
■出演: オダギリジョー, 柴咲コウ, 田中泯, 西島秀俊
■監督: 犬童一心
■ストーリ
わけあって借金を抱え、昼はしがない会社の事務員、夜は
コンビニのバイトをして働く24歳の沙織(柴崎コウ)を
ある雨の日、若くて美しい男(オダギリジョー)が訪ねてくる。
青年の名はは岸本春彦。春彦は、自分が沙織の父(田中泯)の
恋人であること、父親が癌で余命幾ばくもないことを伝え
父の経営するゲイのための老人ホームを手伝わないかと誘う。
父を憎み、その存在さえも否定してきた沙織だが、破格の日給と
遺産をちらつかされ、老人ホームの手伝いに行くことを決意する。
老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」には、個性的な住人ばかりが
暮らしていた。
■感想 ☆☆☆☆*
優しい優しい物語。
見終わった後に人が求めるものについて考えさせられる。
年頃の男女がお互いに愛し合い、求め合い、結婚する。
そういった過程の根底にあるものは結局のところ「寂しさ」で
「寂しさ」や「支え」を私たちはつい愛情だと思ってしまうのでは
ないのかと思うときがある。
それは年頃であればあるほど。そして、異性であればなおさら。
年頃の異性が傍にいて、安らぎを感じてしまうと、無条件で
その人を「愛する人」だと思ってしまう。勘違いと思い込みで
成り立っている危うい関係。だから、人は出会ったり別れたりを
繰り返す。
けれども人はそれほど単純なものではないのだと思うのだ。
「愛する」ことにも様々な形があって、異性として愛する形もあれば
家族として愛する形もあって、更に言うならば「人として」好き
という形もある。
けれども年頃の異性に対して、「人として好き」ということに
対する胡散臭さが今の世の中には蔓延していて、人と人との
精神的な交わりあいや支えあいを「奇麗事」だと言い切ってしまう
風潮がある。確かに「男女間の友情」という言葉はウソクサイ。
まるでありえないように感じることのほうが多い。
けれども、こういう風潮が蔓延している世の中だからこそ
「男女の愛情」ではなく「人と人との愛情」が構築されている
世界を私たちは羨ましく、そして微笑ましく見てしまうのだと思う。
そして、そういった愛の形が「ウソクサイ」などと言われることなく
純粋に認められるのが「ゲイ」の世界なのだと思う。
小さい頃からずっと愛情を求めてきて、でも愛情不足の中で
育ってきたヒロイン沙織と、彼女をあたたかく迎え入れる何人もの
ゲイの老人たち。彼らはみな一様に優しく、ぶっきらぼうで無表情で
常に毒づいている沙織を笑顔で迎え入れる。時にずけずけと
沙織を注意しながらも母親のように彼女を見守る。
次第に、沙織も徐々に心を開き、天真爛漫な笑顔を見せ始める。
その中で唯一、同じ世代の異性、春彦を意識し始める沙織。
彼らの間に存在する恋人以上、家族以上の感情は中盤で彼女たちを
混乱させ、そして、なくてはならないラストにつながっていく。
見終わった後、深い余韻に包まれる。いろんな場面にじっくりと
思いを馳せる。特に田中泯の発した「あなたが好きよ。」という
言葉の深さにしみじみとさせられた。
そして、何と言っても好きなのが、みんなで一体感を感じながら
踊り続けるクラブのシーン。
役柄など超えて楽しそうに踊っているキャストたちがとても印象的だった。
オダギリジョーのかっこよさは筆舌に尽くしがたいものがある。