太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

わたしの知らない世界

2017-01-18 19:12:36 | 日記
今読んでいる本の舞台は、タワマンだ。

知ったように書いているが、それがタワーマンションのことだと、本を読むまで知らなかった。

そのタワマンは、オーシャンビューの棟と、海が見えない棟があって、

その二棟は同じところにありながら、はっきりとした 格差 がある。

自然、その格差はそこに住まう人々にもあり、

どこから情報が漏れるのか、どの部屋はいくらだとか、誰が所有していて

誰が賃貸なのか、といったことをみんなが知っている。


オーシャンビューの上階の部屋を所有している人が1番上のクラス。

小説の主人公の主婦は、海が見えない棟の賃貸組なので、かなり格下になる。


同じぐらいの子供を持つ主婦のグループがあって、

そのボス的な存在の主婦はハイクラスの部屋に住み、夫はマスコミ関係で

主婦自身も完璧なオシャレに身を包むという、ボスの条件が揃っている。

ボスの一斉メールで(しかもデコメール)、天気が悪い日はマンションのラウンジで、

晴れていたら砂場で、というふうにお誘いがかかり、みんなが集まってくる。



いわゆる ママ友 たち。

表面は仲良しで、でも心の裏側ではいろんな思いが潜んでいる。

ハイクラスのママ達は、格下組を誘わないで出かけたり、

格下の主人公は、嫉妬や気疲れや僻みでへとへとになりながらも、その関係を切ることができない。

昔、話題になった「勝ち組・負け組」という言葉が、ここでは現実感をもって存在しているようだ。

物語は、幼稚園を決めるころから様子が変わってくるのだが、

私は読みながら、怖くてドキドキしてくるのだ。



ママ友同士のつきあいが面倒だとか、聞いたことはある。

しかしそれは身近ではなく、単なるどこかで読んだ話だったりする。

身近の、たとえば姉妹が(妹は3人子供がいるが)ママ友で悩んでいるのをみたことがないし、

ママ友が親友になった友人だって知っている。

マスコミが「公園デビュー」とかいう、妙ちくりんな言葉を作って、勝手に煽っているだけじゃないか・・




お互いを子供の名前にママを付けて呼び合う世界が(めぐママとか、かなママとか、ゆうちゃんママとか)

実在するんだろうか。

その仲間から嫌われたら絶望的な気分になるような、そんなことは絶対におかしいと思うけど、

でもそういうところに追い詰められてしまうような世界が、あるんだろうか。



私が住んだことがあるのは3階建程度の集合住宅しかないが、

何件かの主婦同士が仲良くなって、互いの家を行き来したりランチに出かけたりしていた。

私はずっとフルタイムで仕事をしていたから、幸いその仲間に入らなくて済んだけれど、

あるとき、Aさんが待ち構えたように帰宅した私を捕まえて、憤懣やるかたなしというふうに言った。

「ねえねえ、聞いてよ。BさんとCさんが二人でランチに行ったんだって」

それがどうした?と私は思ったが、Aさんは自分が誘われなかったことに腹を立てているらしかった。

「どうして私を仲間はずれにするんだろう。頭に来るわ」

それを私に言ってどうなるというのだ。BさんとCさんに聞いてみればいいじゃないか。

そのとき私は何と言ったのだったか。

「たまたま二人で話が盛り上がって決まったんじゃないの」

とかなんとか言ったかもしれない。

Aさんは私が一緒になって怒ってくれないので、肩透かしをくらったようではあった。



ママ友でなくたって、タワマンじゃなくたって、東京じゃなくなってこんなことはある。

だから、『こんな世界があるの??』と驚いてはみるけれども、

あってもおかしくないだろうな、とも思うのである。



格下に位置づけされた(と思っている)主人公が、ママ友の人間関係についてゆくために

あるいは馬鹿にされないように、見栄をはり、作り笑いをし、そんな自分に辟易しながら、

孤独のあまり娘の手を握って涙する。

そんなのさっさと抜けて自由になったらいいのに、と私などは思うが、

それができない主人公の気持ちも察することはできる。

子供がいて、タワマンに住んだら、私だってそうならないとは限らない。




しみじみ、子供がいなくてよかったかもしれない。

協調性があるようなないような私のような人間は、じょうずに泳いでいける気がしない。



この物語は、悪人は出てこないし、これといった事件も起こらないけれど

私にとってはホラーに近い怖い物語である。






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