(市内にある 土佐教会で ゴスペルフラの練習。 男性も踊っていました。)
土田さん 素晴らしい詩を有り難うございます。 『 明日死んでもいい 百年生きてもいい 』 潔さに感動します。
『 考え 考え 生きていこう 』 もっと感動です。『 朝に道を聞かば 夕に死すとも可なり 』との諺があります。 大いなる存在である神に出会い 信じ 導かれる生き方を見つければ 人生は成ったようなものです。 高知は お遍路の地なので 『 同行二人 』 という言葉があります。弘法大師(空海)と二人 という意味です。 目には見えないけれど そう信じる人のそばには いつも御大師さまがいてくれ 自分を守り 導いてくれる。お遍路を通じて 神仏を確信する ということでしょう。
神仏に頼るのは 弱い生き方だと言う人がいますが 泳ぎがうまい人は まず水に自分を委ねます。泳げない人は 水を怖れ ただがむしゃらに 手足を動かしますが 最後は沈みます。目に見えない神を信じ 委ねるのは 実は 勇気がいることです。 自分のわずかな能力 狭い心 限られた寿命にしか 頼ろうとしない生き方こそ 弱い生き方だと思います。 実は 私もそんな生き方を60年やってきました。そして多く失敗し 罪を重ね 後悔 反省の連続でした。『 若き日に 主を覚えよ 』と聖書にあります。今ふり返って その通りだと思います。人生で一番大切なのは 同行二人 神を知り 信じ 導かれることです。正しい生き方(真理)を知れば 後はエスカレーターのように 祈り 御言葉を聞き 導かれるだけで 毎日が天国です。
『 食べたいものを 食べておこう、行きたい処へ 行っておこう、 会いたい人には 会っておこう、 足腰(脳)立って
元気なうちに! 』 この世をどう見るか 悪魔の支配する所と見るか ? 仏教のように四苦八苦の場と考え 早く極楽往生を望むか ? 以前少し紹介しましたが 岩手の大船渡で医師として働く山浦さんは 聖書に出て来る 『 永遠の命 』 を 『 いつでも明るく ぴちぴち暮らす 』ことと言っています。 死んだ後 天国で楽しく暮らすとは 限らないのです。 私もこの世に 神の国をという 思いです。 この詩には 救いを得た人(仏教では 悟りを得た人)が 自由に 幸福に この世を楽しみ その時が来たら 頂いた老いた肉体をお返しして あの世へ旅立とうという 潔さが感じられます。
土田さんが 好きなこの詩に 土田さんの生き方があると思いました。 私も同感です。 自然に咲く花は 咲く時も 散る時も 無心で いさぎよいですね・・。 有り難うございました。
朝顔系の 少し小振りの花ですが 今一番よく咲いています。
これは 似ていますが 昼顔 ? のようです。
昨日も登場しましたが 矢の根梵天花 という 変わった名前です。
典型的な 西洋朝顔 夜空という種類かも・・。
よく見る 白粉花ですが 色々なタイプがあり 見飽きることが ありません。
ヒカルさんの 好きな花の一つですが お元気ですか ?
これも 今一杯咲いています 丸葉る紅草(まるばるこうそう)
近づくと 香りのいい アベリア 高尾でも街道沿いに 咲いていることでしょう。
花期が長い サフランもどき もどき=ニセモノでしょうが きちんと名前を付けたいですね。
猩猩草(しょうじょうそう) 中国の想像上の動物 確か 酒好き・・?
鶏頭 鶏の頭 鶏冠(とさか)の赤いところと同じ ということですね。
やはり 夏は 赤い花が よく 目立ちます。 百日草