阪神・淡路大震災の日から14年が経ちました。
大きな被害を受けなかった(と今ではそう思います)私は、もう朝早く目をさますこともありません。
ただ、子どもたちがうたう「しあわせ運べるように」を聞くと、条件反射のように目頭が熱くなってしまいます。
先週土曜日の地元紙の夕刊に「震災の猛火に耐えたフィルム120本」という記事が載りました。
地震後起きた火災の類焼で自宅が全焼してしまった男性が撮り溜めていた写真のフィルムが、奇跡的に焼け跡から見つけ出せたというのです。
家は地震でほぼ全壊だったので、あきらめていましたが、火事さえなければ、思い出の品、大事な品はもっともっと手元に残ったはずだったのです。
震災の1と月後には大阪で個展を開く予定でした。
焼け跡から見つけた、長野県・伊那谷の四季を撮った写真は鮮やかなカラーでよみがえり、もうダメだと思っていた個展を開くことができたそうなのです。
その写真を今日、1月17日にJR甲子園口近くのギャラリーで見ることができました。
震災後も伊那谷通いは続いて、もう70回以上とか。
伊那谷の自然や行事、伝統芸能、そこに住む方々との結びつきが、入谷さんの14年間を支えてきたのでしょうね。
大きな被害を受けなかった(と今ではそう思います)私は、もう朝早く目をさますこともありません。
ただ、子どもたちがうたう「しあわせ運べるように」を聞くと、条件反射のように目頭が熱くなってしまいます。
先週土曜日の地元紙の夕刊に「震災の猛火に耐えたフィルム120本」という記事が載りました。
地震後起きた火災の類焼で自宅が全焼してしまった男性が撮り溜めていた写真のフィルムが、奇跡的に焼け跡から見つけ出せたというのです。
家は地震でほぼ全壊だったので、あきらめていましたが、火事さえなければ、思い出の品、大事な品はもっともっと手元に残ったはずだったのです。
震災の1と月後には大阪で個展を開く予定でした。
焼け跡から見つけた、長野県・伊那谷の四季を撮った写真は鮮やかなカラーでよみがえり、もうダメだと思っていた個展を開くことができたそうなのです。
その写真を今日、1月17日にJR甲子園口近くのギャラリーで見ることができました。
震災後も伊那谷通いは続いて、もう70回以上とか。
伊那谷の自然や行事、伝統芸能、そこに住む方々との結びつきが、入谷さんの14年間を支えてきたのでしょうね。