自遊空間、 ぶらぶら歩き。

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ナージャの村

2011-06-11 | 映画・テレビ

元町通り4丁目、座席数66の小さな映画館、元町映画館ナージャの村を観てきました。


1997年に公開されたドキュメンタリー映画で、この映画のことは前から知っていましたが、今年こんな状況下で観ることになるとは、思ってもいませんでした。

チェルノブイリ原発(現ウクライナ)事故が起こったのは1986年4月のことです。

8歳の女の子ナージャが両親や兄姉と住む現ベラルーシ共和国のドゥヂチ村は原発から150km以上離れていながら放射能の高度汚染地域になっていて、300世帯以上暮らしていた村に、撮影時は6家族15人だけ住んでいます。


この映画に原発事故のむごたらしい映像やガイガーカウンター―ってことばを昔は使ってたけれど―で、放射線量を測る場面など一切出てきません。

木の実やキノコを採り、畑で農作物を栽培し収穫する。ウォッカをつくり、家畜を育て、地下水をくみ上げ、生活に使います。

祭りや墓参りだって、残った村民で以前どおりとり行われます。
四季を通じての村の暮らしぶりが淡々とスクリーンに映し出されるだけなのです。

結局、子どもたちは教育を受けるために母親と町に引っ越しますが、ちょくちょく村に帰ります。そこに父親がまだ住んでいるし、故郷だからです。


ナージャたちの暮らしかただったら、原子力で発電するほど電力は必要としません。

 

たまたま映画を観たのと同じ10日に、村上春樹さんがカタルーニャ国際賞の授賞式でスピーチをしました。
東京新聞のWebサイトに要旨があったので、コピペしました。

(2011年6月10日 14時09分)

 【バルセロナ=共同】作家の村上春樹さんがカタルーニャ国際賞の授賞式で行ったスピーチの要旨は次の通り。

 一、東日本大震災で全ての日本人は激しいショックを受けた。今なおたじろぎ、無力感を抱いている。

 一、だが、われわれは精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくだろう。われわれはそうやって長い歴史を生き抜いてきた。

 一、日本は唯一核爆弾を投下された国だ。放射能が世界や人間の身にどれほど深い傷痕を残すか、われわれは被爆者の犠牲の上に学んだ。

 一、福島第一原発事故は日本人が体験する二度目の大きな核の被害だが、今回は爆弾を落とされたわけではない。自らの手で過ちを犯した。

 一、理由は「効率」だ。原子炉は効率が良い発電システムだと電力会社が主張し、政府も国策として推進した。

 一、地震国の日本は世界第三の原発大国となり、原発に疑問を呈する人には「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られた。

 一、だが原発は今、無残な状態に陥った。原発推進派の「現実」とは「便宜」にすぎなかった。論理をすり替えていたのだ。

 一、(福島事故は)すり替えを許してきた日本人の倫理と規範の敗北でもある。われわれは自らも告発しなければならない。

 一、日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。技術力を結集し、持てる叡智(えいち)を結集し、社会資本を注ぎ込み、原発に代わる有効なエネルギー開発を国家レベルで追求すべきだった。それが、広島、長崎の犠牲者に対する、集合的責任の取り方となったはずだ。

 一、損なわれた倫理や規範は簡単に修復できないが、それはわれわれ全員の仕事だ。新しい倫理や規範と、新しい言葉を連結させなくてはならない。

 一、夢を見ることを恐れてはならない。「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追い付かせてはならない。われわれは力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならない。

 

東日本大震災関連の報道から

6月11日(土)
震災から3カ月、11日現在で、亡くなった方1万5413人、行方不明の方8669人

 

 

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