慶応高校の優勝で終わった高校野球、日が短くなって、プロ野球の日程も変則的になって、「秋」の始まりを感じます。
甲子園での慶応の応援があまりにも激しくて、「やり過ぎちゃう?」と思ってしまった私。
「どの口が言う!」と言われてしまいそうですね。
慶応には大昔、細いつながりがありました。
高校を出て2番目に勤めた会社は、9時―5時の間、席についていればいい、楽な会社でした。
高度成長期には庶務・雑務ができる高卒・短大卒の女性はいくらでも求人がありました。
勤務地は東京駅前です。
1番目の会社は勤務地が有楽町から地方にかわる時期にあたったので3年在職して退職したのです。
2番目の会社にいたときに、仕事が楽ならば通信教育でも受けようかと慶応大学に申し込みました。スクーリングは三田校舎です。短期間ですが対面授業がありました。
キャンパスで1人、友人もできました。
しばらく年賀状のやり取りをしましたが、その彼女は2人のお譲さんを残して、若くして亡くなりました。
「もっと仕事をしたい!」という気持ちが捨てられないで、3年働いて、3番目の会社に転職しました。
大きな声では言えませんが、ハード極まりない職場でした。でも、大きく育てられたと思っています。
仕事の報酬は、さらにやりがいのある仕事、というのが会社の方針でした。
もちろん、学校どころではありません。
仕事、仕事で、転勤もし、退職前の勤務地が横浜。
慶応高校や大学のある東急東横線の日吉のアパートに1年と少し住んだでしょうか?
定期券は買い替える必要がないまま、まだ使えるピエール・カルダンの定期入れに入っていました。
慶応につながる細い細い糸がありました。
良い夕焼け空が撮れました
>慶応につながる細い細い糸がありました・・・
細い糸であっても、想い出は大きい想い出
大きい想い出で、糸も大きい糸に変わるでしょう
チョットした事で若い時の想い出が蘇りました
高校野球の勢いで、慶応大学が箱根駅伝を狙うかもと言っています
経済効果も又上がるでしょう?
20キロ走者10人必要ですから、予選会突破は簡単にはいきません。
最近、とみに昔のことを思って懐かしがって^^います。
思えば、直接戦争の渦中に入らずに済んだ、幸せな人生でした。
今のところは・・・です。
>直接戦争の渦中に入らずに済んだ、幸せな人生でした。・・・
戦後生まれ、良い人生だったでしょう
私は戦中派、想い出すのは物不足に、食べ物が少なくお腹を空かしていたのを忘れません
自分で思う良い人生、続けて下さい
青空に、白色の明石城が綺麗です。