島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

北の庄城址・柴田公園

2023-05-26 | 

 芦原温泉で美味しい朝食後、二日目は車で30分ほどの福井市内に寄りました。

恐竜の絵が描かれてる福井駅の傍、福井の町の中に有る北の庄城址は、一度行きたかったので、親切なおじさんのいる駐車場に車を停めて見学。

 ビルの谷間に有る小さな北の庄城址公園・柴田公園、発掘され整備されて石垣の跡も地下に有りました。

北の庄城が落城したあと、徳川家康の次男結城秀康がここを吸収して福井城を築いています。

 横の柴田神社で祭神にもなってる柴田勝家(1523?~1583)、この像がよく出てきて有名です。

 勝家の像の横には、勝家と共に死んだお市の方と、お市の方と前夫浅井長政の間の子である三姉妹(茶々・初・江)の像も有りました。

 織田信長の家臣では、秀吉よりはるかに上にいた勝家、しかしてっぺんにたつ力量は無かったのですかね。

まあずるがしこい秀吉よりも、パワハラはしそうですが馬鹿正直な勝家を、私は憎めませんので、この場所を訪れてみました。

 帰りには賤ケ岳の戦いの勝家繫がりで、高速の賤ケ岳SAで、ミニソースカツ丼とおろし蕎麦のセットを二人で分けて食べました。

分けて食べてる割には、この旅行から帰ったら、人生初の体重70㎏台に突入していました。

 帰って間に合ったオークスも、絶対と思ってた3連単2点買いも入らず、しばらく競馬と甘い物は控えた方が良いですかね。

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三国祭見学後

2023-05-24 | 

 三国神社に集合した山車が動き出すのは13時ごろ、せっかく祭見学に来てるくせに、それまで待てない私はゆっくり帰り支度です。

 屋台で「けずりイチゴ」(500円)を初めて買って、少し祭りの人波から外れた公園で二人で食べましたが、私でも少し甘すぎました。

 お腹も減ったので、祭り見物はこれで終了。

皆とは逆方向のえちぜん鉄道に乗って、一駅先の三国港駅に向かい、以前行った店とは違う店で昼ごはんです。

 焼き魚定食と、

 刺身盛り合わせを、二人で分けて丁度良し。

10種類あった刺身は、美味しかったです。

 九頭竜川河口の三国港を、ぼーっと少し散歩。

 再びえちぜん鉄道に乗って、宿の芦原温泉を目指します。

無人駅が多いえちぜん鉄道ですが、若い女の車掌さんが乗っていて、車内で切符を切ってくれました。

2枚複写のこんな紙切符も、懐かしいですね。

 車窓からは、田植えを終わったばかりの田んぼが半分、麦秋の麦畑が半分。

 あわら湯の町駅前の公園には、福井県のいろんな場所に出没してる、白衣の恐竜がいました。

後ろのややレトロな建物が、1億円で10年前に作ったと宿で聞いた足湯です。

 公園内のキッチンカーで買った、スムージーとバナナクレープを食べながら、結構熱い足湯につかりました。もちろん混浴です。

 芦原温泉の「芦」とかけて「芦湯(アシユ)」という名の足湯だそうです。

 宿には一番早くチェックイン、全国旅行支援クーポンも利用できましたが、もう接種証明書の提示は必要なかったです。

 芦原温泉、温泉は良かったですし、土曜日で三国祭も有るからと思ってましたが、それほど混んでもいず、まあ満足ですが、三国祭は日帰りでも行けましたね。

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三国祭

2023-05-22 | 

 福井県三国町(ミクニチョウ)(東尋坊が有名です)の三国祭見学を目的にした1泊2日の旅行です。

 朝早く出発、車で3時間ほどで芦原温泉に到着、宿の駐車場に車を置かせてもらい、目の前からえちぜん鉄道で三国駅に5分程で着きました。

まだ混んでいず、先着400名までがもらえる三国名物の酒まんじゅうまで貰えましたが、早速食べて美味しいので、売るほど買って帰りました。

 北陸三大祭の一つ三国祭は、300年ほど続く三国神社のお祭りです。

我が家のお宝展、町内の家が40軒ほど、玄関やこのように店前にお宝を飾っています。

 三国祭は、替わり番こに人形を乗せた山車(ダシ)が6台ほど出る祭りです。

毎年の写真が飾ってありましたが、武者人形が多いです。

 以前の年に出た山車は、次の順番が来るまでそのまま山車蔵に置いてあって、祭りの時は又展示するようですね。

 これは明智光秀。

7年に1回ぐらい巡行の役目が廻ってくるそうですが、最近は山車も減って3年に1回になった、と法被を着てる町内の地元の人が教えてくれました(おっさんの話なので、確かでないかも)。

巡行に当たった町内は、上の人形は新しく作り直すそうです。

 

 空の山車蔵は、今年巡行に参加する町内の物でしょう。

 猪八戒、歌舞伎からや武者人形が多いようで、女性の像はないようですね。

 滅茶苦茶沢山の屋台が出てる、そう広くはない町内の道を巡って、やっと三国神社に到着。

三国神社参拝はたくさん並んでいたので、横の遠くの方からだけにしました。

 猩々の山車が到着して、山車は全て神社前に集合したようです。

 壱番 新選組 吉村貫一郎 浅田次郎の壬生義士伝で有名になりました、映画で中井貴一が演じてたと思います。

 弐番 勧進帳 安宅関 富樫左衛門尉(サエモンノジョウ) 山車人形の下の屋台は慶応年間の作品です。

 山車人形もちゃんと人形師が作ってるそうです。

 参番 釣鐘弁慶 山車は三国神社に奉納する目的でつくられました。

 四番 猩々 山車にはお囃子の子供たち5~6人と、指図する大人も数人乗ってますが、10人ほどで押したり引いたり曲げたりしてました。

 五番 永代櫻(エイダイザクラ) 一つだけ人形ではありません。

1753年(宝暦3年)に初めて奉納され、これが飾り山車のはじめと言われていますが、その後武者人形を飾ることが主流になったので、1774年この町内も恒例の永代櫻ではなく武者人形を乗せた山車を奉納したところ、10月?の宵宮に町内に大火が起こりました。

これは火伏せの願いを込めて永代櫻を奉納してた初心を忘れたことへの神罰とおそれ、以後は現在まで山車番に当たった時は永代櫻を奉納してるようです。

 六番 加藤清正 下の屋台は大正時代の作品で漆塗りですね。

この屋台は十区で共有してるようです。

 午後になったら山車は出発するそうですが、疲れて腹も減ってるので、待てづに帰りました。

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シャガ

2023-05-17 | 

 先週は頑張って2日連続で綾部にお花見ドライブです。

4月1日のブログで紹介した綾部市老富町のミツマタ群生ですが、同じ所にシャガも群生し連休明け頃満開と聞いていたので、今回は昼からは大雨の予報も有ったため、早朝に出発しました。

 黄色く可憐なミツマタの花は、もう葉っぱだけになっていました。

 ミツマタ群生の隣、同じく杉の植林地にシャガも群れて咲いていました。

 行った時期はちょうど良く、満開でした。

でも地元の人に聞くと、今年は鹿の食害で、7割程度の出来だそうです。

 何となく自宅や田舎の便所の傍に咲いていたような記憶があるシャガですが、こんな林の中で木漏れ日が差してくると、綺麗ですね。

 アヤメ科アヤメ属のシャガ、やや湿った所に群生するそうなので、京都の実家の便所の手水鉢近くに咲いていたという、私のおぼろげな記憶も間違いではないようです。

 そのまま海に出て、大飯町ウミンピアで海鮮丼を食べましたが、そんなに安くもなく、感激するほどの味でもありませんでした。

そこで買って帰った刺身盛り合わせを、夕食の手巻きずしで食べましたが、そっちの方が新鮮で美味しかったです。

 結局雨が降る前に帰れましたし、前回ミツマタを見に行ったあとは ミッツまた 勝ちましたし、今回シャガを見に行ったあとは シャガりきに 阪神首位を独走中です。

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GUNZE

2023-05-15 | 

 綾部ふれあい牧場でストロベリーキャンドルを見た後、意外とあまり行ったことが無い綾部市街にも寄りました。

 あやべグンゼスクェアに車を停めて、すっかり花好き?になってる私は、その中の綾部バラ園(市制60周年を記念して2010年開園した市民の手によって作られたバラ園)にも行ってます。

 明日(13日)から開園ですが、前でも自由に入れますし、無料ですし、満開です。

 中央花壇には、色々いきさつがあってアンネ・フランクの父親から贈られて、ここに植えられた アンネのバラ も満開でした。

 バラ園の一画には、写真検索でドイツアヤメと出た花も、何とか終わらずに残っていました。

アヤメ科の花弁?は結構複雑な模様で、綺麗ですね。

これで明日の日程が決まりました。

 綾部市はグンゼの町ですので、向かいにはグンゼ記念館が有りました。

金曜日だけが開館日と言う幸運で、入れましたが無料です。

 グンゼ(GUNZE)はメリヤス肌着有名でしたが、今は医療用品にも手を広げていますので、私もYGマークのシャツを着たり、BODYWILDのパンツを履いています。

 1896年(明治29年)に 群是製絲株式会社 を設立した波多野鶴吉(ハタノツルキチ)(1858~1918)さんの像です。

 グンゼの会社名は人名ぐらいかと思ってましたが、

「群」は何鹿群(イカルガ)(今の綾部市)、[是」は方針、進むべき道のことで、

「今日の急務は国是・県是・郡是・村是を定ることに有り」と言う思いに共感した鶴吉が、社名を郡是にしたそうです。

なんかも一つ判りませんが、一応納得。

 しかし社名をカタカナや英語にすると、なんか設立時の意気込みや由来が分からなくなりますね。

 私のIEZE(家是)は、今に至るもまだ定まっていません。

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