![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/da/e1cddb7929bbbb2cab6912e05a00a3aa.jpg)
~其の壱~で書いたように、今から丁度200年前、1813年(文化10年)6月20日~6月26日の間に伊能忠敬は奈留島に滞在して測量を行ない、その後福江島に渡っています。
これを記念して福江島の五島観光歴史資料館ロビーで~其の壱~に続き、
「伊能忠敬~其の弐~」の小さな特別展示がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/f5/c2f926d00c0eb9d2ce50f2afeb889c46.jpg)
第5次測量隊から随行していた江戸幕府先手組同心の坂部貞兵衛(サカベサダベイ)は、五島列島測量時には副隊長として測量を任されていたようですが、若松島で体調を崩し福江島で亡くなりました。
注;展示ャXター写真を撮りましたが、出る時に撮影禁止の張り紙に気付きました。
この写真だけ目をつぶって下さい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/92/fdb1f19ce0cc5d4bddf25a2a86105c4d.jpg)
福江の街中にある常念寺には、この貞兵衛の墓があります。
亡くなったのは1813年7月15日、丁度200年前の今日です。
享年42歳、この時忠敬は68歳、私も頑張らなくては!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/b4/955b2666b7d32dfc64714f269e748303.jpg)
伊能忠敬天測之地の碑が近くの公園にありますが、200年前にこの地で計った値は、緯度で33秒・経度で05秒しか(と言われてもなかなかピンとは来ませんが)違わないようです。
返事
和さん:一度だけ大瀬崎の夕陽を観る機会がありました。
曇り空で夕陽には40点ぐらいの日でしたが。
大雪男さん:「意味が理解できません」を
どう取ったらいいのか考えています。
喜珍さん1:この歌から孫に結びついた経緯が知りたいです。
花水木さん:私は年を重ねるにつれ妄想の世界に入りやすくなっています。
ですから、中学生のような歌になりがちです。
喜珍さん2:この解説で私の歌が奥深くなったように思われます。
ありがとうございます。浅い底が見えて来るのが心配ですが。