八坂神社
2014-07-19 | 富江
子供からのメールや家内からの電話で、京都では祇園祭の真っ最中であることを思い出しましたが、祇園祭も10年観てないと、もうはるか昔の話の様な感じで実感がわきません。
京都の祇園祭、確か私の高校の頃に後の祭りが組み込まれて統一の巡行になってしまいましたが、今年からまた後の祭りの巡行が分離されるようで、7月24日?巡行?、私の家の町内は後の祭りの鉾に近いのと、先の巡行が丁度1学期の期末試験に重なったこともあって、少しマイナーですが後の祭りの方がゆっくり見られた記憶があります。
そんな話も50年前の話になってしまいましたが、富江にも祇園さんかどうかは知りませんが、八坂神社がありました。
前回紹介の歴代富江藩主墓所の山の裏側に鳥居があって、急な石段なので年とったフークはおいておいて登ると又鳥居、その上に小さな社がありました。
もちろんきれいに草は刈られていました。
古い写真では、鳥居の柱の横に芭蕉の句碑が写ってましたが、それがありません。
いつの間にか?、石段の横に移動させられたようですね。
また横になっています
6代運龍(ユキタツ)は、江戸でも広い人脈を持ち、文人でもあったなかなか賢い殿様だったようで、この句碑は運龍公の書による芭蕉の句碑、
春もやや けしきととのふ 月と梅
何が書いてあるか全然読めませんが、こんなところにも古い句碑があるとは、一部の人とは思いますが、富江の文化レベルもなかなかのものだし、江戸時代から芭蕉はスーパースターだったんですね。
八坂神社の鳥居の前に座って、しばしフークと休憩。
眼前には田んぼが広がり、ここにいる不思議さをかみしめています。
それとは別に、やっぱり福江島は奈留島とは違って農業ですね。
返事
さんまさん:台風はまだ大丈夫のようです、帰りが少し心配。
大雪男さん:八坂神社の山の向こうが繁敷だと思います。
なるほど、隠れてひっそり暮らすには、農業より漁業の方がむいていますね。
花水木さん:お医者さんという感じでもないですし、身近でもないですが、
ブログの縁もなかなか強力だと思いますので、よろしく。